薄明

ごじょうさとる×ふしぐろめぐみ
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おめでとう。大好き
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共に過ごすということ

 任務で赴いた先の駅前でクリスマスマーケットをやっていたと伏黒が言っていたのが先月のこと。それもうクリスマスでもなんでもないじゃんと五条が言ったのも先月のこと。
 そして2人で住む場所からそう遠くない所でクリスマスマーケットがやっているから行きたいと伏黒が言い出したのが、22日の朝のこと。
 五条にそれを告げてから任務へと向かった伏黒が帰宅したのは、昼を過ぎて夕方になった頃だった。せっかくの誕生日なんだから休めばいいのに、とは言えない。五条がいなくなった穴の大きさは、五条自身もよく理解していたから。
五条悟は表向きは死んだことになっている。生きていることを知っているのは、伏黒を含めた一部の関係者だけ。奇跡的に一命を取り留めたものの、身体は動いても以前ほどの精度で術式を扱うことが難しくなったのだ。ただでさえ扱いが難しく、1歩間違えれば大惨事を引き起こしてもおかしくない力。逞しく育った教え子たちに先のことは任せて、五条悟は死んだことにして隠居生活を決めたのだった。
 隠居生活を始めてから伏黒と一緒に暮らすようになって、同じ屋根の下で彼の誕生日を祝うのもそろそろ片手じゃ足りなくなる。毎年この時期は宿儺との戦いの記憶も新しく、呪いが増え、術師たちが忙しくなる。だから伏黒がこの日に任務に赴くのは仕方ないのないことだが、きっと負い目もあるのだ。それにだって、気にしなくていいんだよ、だなんて五条にはとても言えなかった。お互い口には出さないけれど、苦い思い出ばかり蘇る。

 1駅先にある大きな公園でクリスマスマーケットはやっているらしく、2人並んで徒歩で向かう。すっかり空は暗く、吐き出す息は白くて伏黒の鼻の頭は赤くなっていた。今日の任務での話を聞きながら歩いていれば1駅なんてあっという間。やがて人々の賑わいと電飾でやけに明るくなった一角が見えてくる。
「結構賑わってるじゃん」
「ですね」
 クリスマスマーケットと言えどもそう大々的に告知しているような規模ではない。それでもぼんやりしていたら離れ離れになってしまいそうなくらいには人が集まっていた。クリスマスにはまだ少し早いけれど、イベントは楽しんだ者勝ちだ。
 人の流れに混ざって、入口でマグカップを購入する。赤と緑と、可愛いトナカイのイラストが付いたそれを片手に公園内へと1歩踏み込むと一番に目につくのは中央にある大きなツリー。電飾で形作られたそれは、一等きらきらと輝いていた。
「……つか、顔隠さなくていいんですか」
 ツリーを眺めていると、伏黒が五条の腕をつついてくる。確かに今日の五条はサングラスしかしていなかった。
「別にいいでしょ。僕が実は生きてることなんて、本当はとっくにバレてるし」
「…でも」
 五条悟は死んだことになっているが、実のところ生きていることはとっくの昔に知れ渡っている。耳の早い呪詛師たちに知られれば、他の術師たちにも話が行くのは早かった。公然の秘密というやつだ。けれど、以前のように扱えないとはいえ術式は死んだわけでもないし、衰えたところはあっても培った戦いの技術は残されている。そうそう命を奪いに来る無謀な者はいないし、なによりも。
「なんかあっても恵がどうにかしてくれるでしょ」
 五条の言葉に、むっと口を尖らせたのは照れ隠しだ。今の五条にはとっても頼りになる用心棒がいる。そう心配するようなことはない。
 ツリーの前から離れて、マグカップを受け取った時に貰ったマップを一緒に覗き込む。雑貨を扱う店から、食事を提供しているキッチンカー、フォトスポット。一頻り目を通してから、伏黒が指を指したのは入口から1番近い出店だった。
「俺、ここ行きたいです」
「いいけど、何目当て?」
「ホットワイン」
 思わず伏黒の顔を見る。ああ、そういえば今日で彼は20歳になったのだと、思い出す。あんなに小さかった子供は、酒が飲める歳になったのだと。
「…ん、分かった」
「一応身分証持ってきました」
「飲む気満々じゃん」

 少し並んで、購入したマグカップに伏黒はホットワイン、五条はココアを注いでもらう。ついでにソーセージの盛り合わせも買った。ベンチは殆ど埋まっていたから、隅っこで立ったまま飲むことにする。
 別に自分が飲む訳でもないのに、どこか緊張しているのは伏黒に酒のイメージがないからだ。大人になった証。子供じゃなくなった証。嬉しいはずなのに、どこか寂しい。
 恐る恐ると言った様子でそっとマグカップに口をつけて、1口。こくりと伏黒の喉仏が上下するのを見ていると、気まずそうにこちらを見た。
「…そんなに見られたら飲みにくいんすけど」
「や、なんか、慣れなくて」
「何が」
「恵がお酒飲んでるのが」
「そりゃ、今日が初めてですからね」
 でもこれから見慣れるかもしれませんよ。そう言ってもう一口。
 人々の賑わいをBGMに大きなツリーとそれと出店を繋ぐ電飾の光を見つめる。五条はこういうイベントで賑わっている空間が存外好きだ。意味もなく散財して、色んなものを食べて飲んで、浮かれて。そういう非日常が好きだ。けれど伏黒はそうじゃない。むしろ苦手な筈だ。五条が誘って渋々着いてくるならまだしも、自分から行きたいなんて普段なら言うはずもない。ましてや、この時期になんて、尚のこと。
「…五条さん、好きでしょう」
 徐に伏黒が口を開く。
 視線はマグカップに落として、口元に小さな笑みを浮かべて。
「イベント空間が?」
「そう。こういう人でごった返してて、賑やかなの」
「恵は好きじゃないよね」
「そうですね。普段なら行きたいなんて思わないんですけど」
「誕生日なのに」
「だからですよ」
 顔を上げた伏黒が、緩く目を細めて五条を見る。瞳にきらきらと電飾が反射していた。
「誕生日だから、あんたの楽しそうな顔が見たくて」
 毎年、伏黒はこの時期になると連日任務を入れて日付が変わる少し前にやっと帰ってくる。疲れきった顔で、ふらふらと帰ってきては起きて待っている五条にくっついて離れようとしない。何を言うわけでもなく、ただ離れようとしないのだ。誕生日に何か欲しいものがないのか聞いても特に無いと言うのはいつものこと。けれど、誕生日に限らず今の伏黒は欲しがること自体を避けているようだった。なのに。
「…ふは、変な顔」
 言葉に詰まる五条に、伏黒が目尻を柔らかく下げる。電飾の明かりの中でも、伏黒の頬が赤く見えるのは気のせいか。
上手く言葉が紡げない五条を置いて、伏黒がぽつりぽつりと言葉を落としていく。独り言のようにも聞こえるそれは、しかし五条に語りかけていた。
「20歳になって、ちゃんと覚悟決めないとなって思って。俺のしたことが許されるとは思ってないですし、一生かけて償わないといけないことだとも思ってます。でも、…あんたと、五条さんと一生一緒にいる覚悟は、幸せにする覚悟は、ちゃんと決めないとなって」
 今日は誰の誕生日だったっけ、そんなことを思う。今日は五条の記念日じゃなくて、伏黒の記念日のはずなのにどうして五条を喜ばせるようなことを言うのだろう。本当なら五条が誰よりも伏黒のことを祝ってあげないといけないのに。生まれてくれたことにありがとうを伝えて、出会ってくれたことに喜びを伝えて、一緒にいる奇跡に祈りを捧げるべきだ。だというのに。
「…なんで僕がプレゼント貰ってんのさ」
 サンタさんにはまだ早いよ。そう続けた声は随分とかすれてしまった。でも伏黒にはちゃんと聞こえたはずだ。どんな人混みの中であっても五条には伏黒の声が聞こえるように、伏黒にだって五条の声はよく届くはずだから。
 五条のマグカップの中身は全然減っていないのに、伏黒のカップの中身はあと少しになっていた。頬が赤いのは、初めてのアルコールのせいか、一足早いサンタさんのせいか。
「貰ってるのはこっちですよ」
 伏黒の瞳が、一層きらきらと光る。
「あんたが生きてるって知ってから、毎日がプレゼントみたいなもんですから」
 歳は取りたくない。涙脆くなって仕方ない。ず、と鼻をすすってしまって情けない。情けないけれど、今日だけは許してほしい。
「酒の力ってこわぁ…」
 五条の情けない照れ隠しに、伏黒はとうとう声を上げて小さく笑った。
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はじめての
付き合ってまだそんなに長くない頃


 今の僕は、まさしく鳩が豆鉄砲の顔をしている。
 リビングから廊下に繋がる扉の前で真っ赤っかな顔をして立つ恵は、ロング丈の寝巻き用のシャツしか着ていなかったのだ。着ているのは本当にシャツだけで素肌を晒した足が少し寒そうだったけれど、始めて見る恵のそんな姿に僕は言葉を失っていた。どうしたのとか、寒そうだけどとか、もしかしてとか、色んな言葉が頭の中で浮かんでは消えて、そうしてやっと飛び出したのは抑えきれない笑い声だった。
「っ、ふ、…ははっ!もう、なんなのお前!育てた僕でも予想できないようなことして!驚かせてくれるじゃん!」
 恵が静かに「お風呂いただきます」と告げてリビングから消えて1時間弱。普段の恵からしたらありえない長さだったが、ソファで次の任務資料を眺めていた僕は深く考えていなかった。 そんな恵が、真っ赤っかな顔で生脚を晒して僕の前に立っている。扉を開けて「五条さん」と僕を呼んだ時の消え入りそうな声といったら!ここまでされて恵の意図に気付かないほど僕は鈍くない。
「…なんか、すみませんでした」
「ちが…、待って待って!そうじゃなくて!」
 あんまりにも僕が笑うもんだから馬鹿にされたと思った恵が、真っ赤な顔のままムスッとして再び廊下に消えそうになる。不器用な恵が頑張って僕を誘ってくれたのだ。馬鹿になんてするわけがない。だってあのちいさな「五条さん」の後には「今夜どうですか」って続けたかったに違いなくて、ただそれを言うところまで恵の勇気はちょっと足りなかっただけで。
 慌ててソファから立ち上がり風呂場にUターンしそうな恵の腕を取る。顔は真っ赤でもその手は冷たい。恵からえっちに誘うなんて初めてだし、こんな格好を自分からするのも初めての筈だから本当は緊張していたのだろう。
 不器用で、愛らしくて、いじらしくて仕方ない。
「………」
 目を合わせられない恵が、ふいと顔ごと目線を逸らす。
「本当に違くてさ。すっごい嬉しいの」
「…爆笑してましたけど」
「だって恵が豆粒みたいにちっちゃい頃から面倒見てて、とっくに色んなこと知ってて、恵が考える大体のことも想像がつくのにさ、これは予想外だったから」
「…豆粒じゃない」
 突っ込むところはそこじゃないのは恵だって分かってるだろうに、素直じゃない。また笑いそうになるけど今度は堪えた。
 掴んだ恵の腕をそっと離してから、どこかに行ってしまう前に手のひらと手のひらで繋ぎ直す。
「まだまだ恵の知らないところがあって、予想もしないようなことで驚かせてくれて、喜ばせてくれて、嬉しいに決まってるじゃん」
 恵の好きな味付けも知ってるし、当然好みの本や映画、服も知ってる。靴を履く時は必ず右足からだし、つむじは左巻き。恵の身体のことだって、まだ勉強中だけど既に本人よりは知ってるつもりだ。どこをどうされるのが弱いとか。しかしそれでも、世の中知らないことばっかりだ。風呂が長かったのは多分準備してたからで、脚を出してるのはきっと脱がせる手間と分かりやすさを考えてのこと。
 新しく記憶してからまだそっぽを向いてる恵の顔を覗き込んで、繋いだ手を揺らす。
「ね、「五条さん」の続きは?」
 続く言葉は今夜どうですか、だと僕は予想してるけれど何が飛び出してくるのか。わくわくしながら待つ。
 けど、何が飛び出しても、僕の返答はもう決まってる。
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冬の昼寝はちゃんと布団をかけよう
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うたた寝、冷めたコーヒー

「へくちっ」
 そんな可愛いくしゃみが聞こえて思わず目線を下へ向けた。今いる場所はベッドの上、そして目線は下に、つまりは僕の胸元だ。僕の胸元で恵がくしゃみをした。
 眉間に小さく皺を寄せて、口元をもごもごも動かしてむずがっている。寝ながら寒そうに身を寄せてくる様子に、そういえばベッドにシーツを敷きながら寝ちゃったんだったと思い出す。
 今日は天気が良かったからシーツを外で干して、その干したてのシーツをベッドに敷いていたら恵がやってきたもんだから腕を掴んでベッドに転がして、せっかくの乾いたばっかりのシーツをしわくちゃにしながらいちゃいちゃして、気が付いたら寝ていた。このいちゃいちゃは決していやらしいいちゃいちゃじゃない。ただひっついてキスをして、そんな可愛らしいものだ。誰に言い訳するでもなく僕達は健全なことをベッドでしましたよ、と心の中でごちる。
「めぐみー」
「…ん…」
 そういう訳だから部屋着のまま布団をかけずに寝てしまって、寒いのが苦手な恵が可愛いくしゃみをしたのが今さっき。裏起毛のスウェットに体温の高い僕にひっついていても、もうじき12月の気温の前には足りるはずもない。
 くしゃみをしても尚、眠そうにしている恵の頬をつつく。さっきと同じように口元をもごもご動かして、ゆっくりと瞼を持ち上げた恵は少しだけ不機嫌そうだ。といっても寝起きの恵はいつもこんな顔だ。本当に不機嫌なわけじゃない。
「おはよ。体冷えちゃったね」
「……はよ、ごさいます」
 寝起きの掠れた声で挨拶をしながら僕の胸元に擦り寄ってくるが、たぶんこれは二度寝の体制に入ろうとしている。ちょうどいいおやすみポジションを探しているのだ。
「ねぇ、なんかあったかいの飲もうよ。また寝たら風邪ひくよ」
「俺、コーヒー用意しましたよ」
「知らないんだけど」
「…言う前にベッドに引きずり込んできたんでしょう」
「言えばよかったじゃん。恵ったら僕とベッドの誘惑に弱すぎ」
「あんた程じゃない」
 僕から引き剥がされた恵は口を尖らせる。やっと二度寝を諦めた恵をベッドから起こしてから、床に足を下ろしたらフローリングはすっかり冬になっていた。そう長く寝てはいない筈だけど、恵が用意してくれたコーヒーが冷めるには十分な時間は経っているだろう。レンチンでもして温め直している間に、この間スーパーで安くなっていた1口和菓子の詰め合わせでも開けようかな。
 そんなことを考えていたら、僕に続いてフローリングに足を下ろした恵がもう一度くしゃみをした。


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人魚の夢
ガチでいつ書いたのか分からない。たぶん2021~2022年の間くらい…?

 ひどく寒い日だった。雪が降るのではないかと朝の天気予報で言っていたと思う。結局雪が振ることはなかったが、鈍い色をした雲に覆われて太陽は1日まともに姿を見せなかったし、吐き出す息は真っ白。コートから出ている顔やら手やらが冷えで真っ赤になって、伏黒を玄関へと押し込めた五条の手の温度なんて同じように冷えきっていて分かりやしなかった。中に入って扉を閉めるなり伏黒の顎を掴んでキスをしてくる五条に余裕なんてものは感じられなくて、性急に口内をまさぐる舌を必死で追い掛けながら珍しい、なんてことを考えた。冷えきった全身の中で、どんどん汚れていく口内だけが熱すぎるくらい熱かった。
「…せんせ、」
「今は先生じゃないよ」
 合間に五条を呼べば、視界が霞むほどの距離で伏黒を射抜いた五条が冷たく言い放つ。気を損ねているわけじゃない。伏黒を求めてひたすらに余裕が無いのだ。べろりと唇を舐めあげられ、吐息を流し込むように言う。「なんて呼ぶの?」と。冷たい体表が内側から熱されていく。もう息も絶え絶えで足に少しだけ震えがきていた。
 伏黒も五条と同じように余裕がなかった。今日は2人ともおかしい日だった。
「ごじょうさん」
 呼べば、少しずつ温度を取り戻した五条の手が伏黒のコートのボタンを外し始める。相変わらず片手は伏黒の顔を掴んで離さない。興奮で浅くなる呼吸の中で視線を絡ませ、震える手で五条の服のファスナーを下ろしていく。今日はこのまま玄関でするのだろうか、それとも風呂場に連れていかれるのだろうか、このままベッドに雪崩込まれるのは嫌だな。少しずつ脱がされていく中でそんなことを考える頭は間違いなく茹だっていた。気が付けば伏黒の手は止まっていて、足元には伏黒の上着だけが落ちている。暖房もついていない玄関なんて寒いはずなのに、そんなことは興奮でどこかに消えていた。
「…風呂、はいりたい」
 やがて制服の下、肌に直接触れようとしてきた五条の手にひくりと腹の奥が震えた。このままじゃいけないと、どうにか働いた頭と手でもって五条の手を制す。もう身体はお互いの興奮で温まってしまっていた。五条と温度が混ざる感覚は溶けるみたいで嫌いではない。しかしどうにか理性は働いて、でも緩み始めた頭はそれを寂しいと感じた。
 魚は人の体温で火傷することがあるのだという。人よりずっと低い体温を持つ魚は人間の指先ひとつで身が焼けるのだ。五条とどこか急ぎ足で帰ってきて、ろくな言葉もなく玄関でぐすぐずになるようなキスをする。指先も頬も耳も何もかもが冷えきって感覚もないなかで1番最初に触れた五条の真っ赤な舌だけは焼けそうな程に熱かった。
 痛いほどに五条の熱を感じて、指先が滑る度に伝う熱に身を焦がされ助けを乞う。死ぬ前の魚のような、いっそ鮮烈な程に五条の熱を感じたあのキスのようなセックスが欲しい夜だった。

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匂わせ


「あれ?」
 任務に向かう道でふと立ち止まった虎杖が不思議そうに首を傾げる。なんだ?と言いながら伏黒の周りをぐるりと1周歩いて、もう一度首を捻った。
「…おい、」
 早く向かうぞ、と言いかけたところでぱちんと虎杖が指を鳴らした。
「シャンプー変えた!?」
 違和感の答えを見つけ、ぱっと顔を明るくした虎杖には一つも悪気はない。ただただ風に乗って流れてきた香りがいつもと違うからなんだろうと不思議に思っただけ。なのだけど。
「…………」
 実際昨夜の伏黒はいつもと違うシャンプーを使ったし、なんならコンディショナーも使った。使ったというか、使わされたというか。ドラッグストアでセールになっていたよく分からないメーカーの安いシャンプーじゃなくて、よく分からないメーカーのボトルから高級感の漂う香りもすごくいい高そうなシャンプーとコンディショナー。つまるところ有り体にざっくり言ってしまえば、昨夜は五条の部屋に泊まりに行っていて、一緒に風呂に入らされた。一応抵抗はしたのだが、五条相手に抵抗なんて意味はない。
「伏黒?」
「……いや、まあ、そんなのはどうでもいいだろ」
「そ?めっちゃ怖い顔してるけど」
「元々こんな顔だ」
 にしてもめっちゃ良い匂いすんね、と言う虎杖を置いて足早に任務先に向かう。きっと、こうして歩いている間にも風に乗って高級シャンプーの香りは伏黒から漂っているのだろう。爽やかで、でも少し甘い、五条が好きそうで伏黒が嫌がらなそうな香りが。

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「…なんか匂うな」
「いい香りでしょ」
 窓から吹き込む風に乗って五条から漂ってきた香りに、家入が少し眉根を寄せる。任務先で怪我をしたという釘崎の様子を見に保健室へやってきたのだが、ベッド脇に腰掛けて治療を受けていた釘崎も家入と同じような顔をした。
「…なにこれ、あま」
「そ、甘いけど爽やかでいいでしょ」
 家入も釘崎も「いいでしょ」という言葉に同意は示さずに、お互いと視線を合わせる。女の勘ってやつかもしれない。
「…お前、こんなの普段使ってないだろ」
「まぁね。香り強いの好きじゃないし」
「匂わせする男は嫌われるわよ」
 ふわふわと髪から漂うのは、少し前に買ったお高いシャンプーの香り。どこのメーカーのかは知らないけれど、香りと持続時間だけで選んだそれは中々悪くない。買ったのは少し前だけど、使ったのは昨夜が初めて。何故なら、このシャンプーは伏黒の為に買ったからだ。
 昨夜、伏黒が五条の部屋に泊まりにきた。ただ何をするでもなくゆっくり過ごしていたけれど、このシャンプーの存在を思い出して渋い顔をする伏黒を風呂場に連れて行った。変に身構える伏黒をむっつりだとからかいながらくせっ毛を洗ってあげて、ケアもしてあげて、2人で湯船に浸かって、おしまい。伏黒が身構えてたようなことは何一つしないまま2人で布団にもぐりこんで、お揃いのいい香りで眠りについたのだ。
「匂わせじゃなくて、お揃いって言ってよ。微笑ましいでしょ」
「匂いでやるとか趣味悪〜」
 釘崎が風に乗ってくる香りを振り払うように顔の前で手を振る。何も言わないけれど、たぶん家入も同じ感想だ。
 2人でゆっくり過ごせたのは随分と久しぶりで、言葉にしないだけで伏黒も浮かれていたようだったから玄関先で別れる時も同じ香りを纏っていることを気にした様子はなかった。けれど今日は虎杖と任務だと言っていたし、朝から向かっていた筈だから何事もなければそろそろ戻ってくる時間。流石にもう意味に気付いているだろう。怒るかな、1番に照れ隠しのパンチが飛んでくるかも。どれがきても可愛いことには変わりがないので、釘崎の無事を改めて確認してから保健室を出た。お揃いの香りを纏う伏黒を出迎えてあげるのだ。
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内緒の話


 その日は9月の半ばにしてはやけに暑い日だった。
 津美紀と暮らしていたオンボロの安アパートじゃクーラーなんてものはなくて、学校から帰って一番にすることと言ったら窓を開け放して扇風機を回すこと。その日、津美紀は委員会で少し帰りが遅く、俺が先に帰っていつ壊れてもおかしくない扇風機を回して籠った熱気が薄まるのを待っていた。蝉の鳴き声はもうしない、静かで暑い日。
「あれ、津美紀は?」
「…ノック」
「それ言うならちゃんと鍵閉めな」
 インターホンなんてものもなかったあのアパートで来客を知らせるものといったらノックしかなかったが、五条さんはいつも無断で入ってくる。合鍵を持っているから俺が鍵を閉めたって意味なんてないのだけど、帰宅して一番に鍵を閉めなかったのは自分なので黙った。
「んで、津美紀どうしたの?」
「委員会。少し帰り遅くなるって」
「へぇ、子供でも仕事なんて大変だねぇ」
「ていうか、何しにきたんですか」
「息抜き。疲れたの」
 言うなり人の家の床に寝そべった五条さんは「津美紀帰ってきたら起こして」と言い残してサングラスを外した。それをちゃぶ台の上に適当に放り投げて、目を閉じて寝る体勢に入るもんだから邪魔だとどかそうとしたけれど小さかった俺じゃ大きな五条さんの身体はびくともしなかった。たまに意味もなく俺たちの暮らす家にやってきては、稽古や任務に連れて行くでもなくただ構い倒して帰っていく。数時間もしないで帰る時もあれば1泊していく時もあって、多分幼い頃の俺と津美紀にとってこの頃の五条さんは凄い人だとかそんなイメージはあまりなかった。
 この日も例に漏れず意味もなくやってきた五条さんは本当に疲れていたようで、広くもないアパートの一室で遠慮なく足を伸ばして寝始めた。布団もクッションも何も無い、ただの畳の上で寝こける五条さんに、俺は内心緊張していた。
 少し前に五条さんが半年くらい家に来なかった時期があった。お金だけは五条さんと一緒に仕事をしているという疲れた顔をした男の人が持ってきてくれたけれど、姿はとんと見えなくなって連絡も途絶えた。お金を持ってきてくれる人に聞いてみても仕事が立て込んでいるとしか教えてくれなくて、最初は本当に忙しいんだなと納得していたけれど半年も経つ頃にはまた捨てられたのだと気持ちに整理をつけ始めていた。が、急に人の家にやってきた五条さんは本当に忙しすぎて顔を見せれなかっただけらしく、海外に行ってただとか寝る暇もなかっただとか半年分の苦労を語るだけ語った末に俺にこう言った。
「ごめんって、捨てたりしないからむくれないでよ」
 この出来事が、たぶん、俺の恋の気付きというやつだ。捨てられたのが悲しくて、本当は一緒にいたくて、会えたのが嬉しくて、そういう気持ちはきっと恋の中にある。そんな気付きから少しして津美紀が少女漫画にハマって、自分がドキドキしたシーンなんかを見せてくるから余計に俺の中では恋というものの存在が大きくなっていた。この頃はたぶんまだ恋はきらきらしたものだと漫画から刷り込まれていた。それから恋なんて捨てたくなるようになるのは別の話だし、その捨てたい恋が報われるのも一先ず別の話だ。
 そんなわけで恋に気付いてしまった俺は、目の前で寝こける五条さんにどきどきしていた。津美紀が読んでいた漫画で見たキスというものが頭をよぎって、それが好き合っている人間同士がするものだとは分かっていても好奇心と初めての恋に浮かれる気持ちとは無敵なもので。
「………寝てる」
 ちょん、と五条さんの頬をつついてみても綺麗に閉じられた瞼はぴくりとも動かない。思い切って揺すってみても起きる気配はなくて、扇風機の音すら聞こえないほど心臓がうるさく鳴り始める。
 五条さんの顔の横で小さく身体を丸めて、全身の血がお湯になったんじゃないかってくらい熱くて、ゆっくり近づいて、ちょん、と触れた唇は柔らかかった。
 時間にして1秒に満たないくらい。慌てて離れたけれど、五条さんはそのまま起きる気配はなかった。実は起きてたらどうしようだとか、どこかでバレたらどうしようだとか、色んなことが頭をよぎって、その日の晩御飯は味がしなかった。

「…ねぇ、ちゅーすんなら起きてる時にしてよ」
「起きてたんですか」
 眉間に皺を寄せて瞼を持ち上げた五条さんはむくれたように口を尖らせた。どうやらずっと起きていたらしい。布団の中でもぞもぞと動いて向き直った五条さんが、俺の頬に手を寄せる。今度は起きてる状態の五条さんにしろということか。
「この間も寝てる僕にしてたでしょ」
「しましたね」
「起きてる時にしてよ」
「…善処します」
 善処じゃなくってさぁ!と騒ぎそうな口にちょんと自分の唇を触れさせて黙らせる。この間もなにも、実は寝てる五条さんに遭遇する度に毎回しているのだが、バレるかバレないかは半々というところだ。6日前にソファで寝落ちていた五条さんにしたのはバレていないらしい。
 趣味、というわけではないが寝てる五条さんにキスをするのは密かな楽しみというか、初心に戻れるというか、なんにせよ気に入っているのだ。普段はうるさかったりいじわるだったりいやらしかったりする五条さんの唇は、寝てる間はただ柔らかいだけ。その柔らかさに昔みたいにどきどきするのは、五条さんにはずっと内緒の別の話だ。

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小説より奇なり


 子供が小さくて弱くて脆い生き物だというのは分かっていた。けれどそれは知識として理解しているだけで、実体験としては理解していなかった。
 子供の平均的な体型なんて知らないけれど、それでもまともな食事が取れていない故の細っこい身体。骨と皮だけ、とまでは言わないけれどちょっと強く掴んだら簡単に折れちゃいそうなくらい脆く見えた。実際その脆さは思っていた通りで、連れて行った任務で恵の腕をぽっきり折ってしまった時に硝子にこっぴどく叱られながら意識を改めたものだった。子供って手がかかって(今思えば恵も津美紀も子供にしては聞き分けが良すぎて手なんてまるでかからなかったのだけど)気を遣う。めんどくさいな、なんて思ったりもしていた。それでも誰かに恵のことを任せたくなかったのは、知らぬ間に僕の中で恵の存在がその辺の適当な人たちとは違う場所に居たからだ。平たく言っちゃえば大事になってたってこと。
「…鼻歌ウザイんすけど」
「子供の成長を喜んでんのよ」
「はぁ…」
 そんな細くて貧弱で簡単に死んじゃいそうな子供は、今はすくすくと育って体重も増え、僕にはボコボコにされるけど簡単には死なないようになり、ついでにちょっとふてぶてしくなった。ノリのいい鼻歌に文句を言いながらも、僕が恵の手を離さないのには文句言わないんだよね。昔は恵の手なんて本当に小さくて、片手で両方掴めるとかじゃなくて片手で両方握り潰せそうなくらい小さな豆粒サイズだった。それが今やしっかり繋ぎ返して指まで絡めてくるサイズ感だ。
「そういえば明日」
「ん?」
「……スーツとか、ちゃんとした格好した方がいいですかね、やっぱ」
 子供の成長は早いなんて言うけれど、実のところ変わったのは見た目だけじゃなくて関係も。出会った頃はまさか指を絡めて手を繋ぐような仲になるなんて思ってもみなかったし、恵のお姉さんに僕たちの関係を報告する日がくるとも思ってなかった。
 明日、僕と恵は津美紀に「実は付き合ってます」の報告をしに行く。今日はその前乗りで、2人揃って任務をお休みして津美紀の家の近くに宿を取ったのだ。そしてその宿に向かう道中ってわけ。お互い多忙で、直前まで仕事だったから宿に向かうのも月が顔を出す時間になってしまった。
 恵が高専を卒業すると同時に2人で暮らし始めるのかと思いきや、津美紀にNOを突きつけられて恵と津美紀は別々に暮らしている。なんとなく、その時点で津美紀は何かを察している気がするけれど、恵には黙っている。びっくりしすぎて固まる恵は見たいしね。
「別にいつも通りでいいんじゃないの?そこまでかしこまるような場じゃないし。てか、お互い任務から直で来てんだからスーツなんて持ってきてないじゃん」
「…そこはほら、五条さんが買ってくれるんじゃないかと」
「現地調達で?」
 そうです、と当然の顔をして頷くもんだから「お前ってさぁ!」と笑って思わずおでこを小突く。スーツくらい欲しいんならいくらでも買ってあげるけれど、当然みたいな顔しちゃって。といってもそうやって育てたのは他でもない僕だけど。
「でもほんと、スーツとかいらないよ。そのまんまの僕たちでいつも通りに過ごしてさ、付き合ってますって言おうよ。いつからってのは…まぁ、ぼかそう」
「叱られますからね」
 小さく笑って恵が僕と繋いだままの手をゆらゆらと揺らした。
 あんなに小さかった手が、今じゃ絶対離したくない大事な手になってるんだから人生ってのは小説より奇なりってやつだ。

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今日はポイント3倍デー 都合よく生きてて成人して平和に同棲してる
自カプを数字で

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夏の風物詩
これの続きぽくなった


 今や日本の夏はエアコンなしでは過ごせない。窓を開けて扇風機、風鈴の音で涼を感じるなんて時代は既に過去だ。毎年熱中症で運ばれる人は後を絶たず、亡くなる人も多い。連日テレビじゃ暑さ対策をするように呼びかけている。だから休みの日にエアコンの効いた部屋で過ごすのは当然の話なのだ。
 なのだけれど、適温というのは人それぞれだ。
「めぇぐみぃ」
「っさい、何度呼ばれても出ません」
 僕がいるじゃんかぁ、と不満げな声が頭上から聞こえるが全て無視して布団の中で更に丸くなる。適温は人それぞれだが、夏場の五条さんの家は極寒だ。玄関を開けた瞬間からひんやりとした空気に歓迎され、10分も過ごせば熱の籠もった身体が肌寒さを覚え、1時間も過ごす頃には冷たい麦茶ではなく暖かい緑茶が欲しくなる。そうして一晩過ごせばもう布団から出てこれなくなる。少なくとも俺はそうだ。これが適温の人がいるのは分かっているが、俺には寒すぎる。
「僕があっためてあげるって言ってんじゃん」
「いらない。それよりエアコンの温度上げてください」
「夏は冷え冷えの部屋で毛布に包まりながらアイス食べるのが最高なんじゃん!」
「1人でどうぞ。……って、ちょっと!」
 いつまで経っても布団から出てこない俺に痺れを切らした五条さんが、ベッドに乗り上げてきたと思ったら頭から被っていた布団を剥ぎ取られる。途端にひんやりした空気が肌を撫でて鳥肌が立った。寒さから逃げるように身体を縮こまらせると、当然のように隣に寝転んできた五条さんが後ろから腕を回すようにして抱き締めてくる。元々の子供体温か、それとも筋肉量の差か、いつも暖かい五条さんの身体はこんなに極寒の部屋でも変わらず暖かった。真夏にも関わらず寒さに震えて人の温もりに心地良さを感じるなんて。
「あーもう…毎年こんなやりとししてんの不毛すぎる…」
「いい加減諦めなって。夏の風物詩ってやつだよ」
「俺を寒い部屋に放り込むのが?」
「寒い部屋で凍えてる恵を抱き枕にして、アイスを食べるのが」
 毛布はどこに行ったんだ。と思ったが、五条さんはこの部屋の温度なんて大して苦じゃないのだ。長袖のシャツを着ている俺に対して半袖短パンで過ごしているのだから。五条さんが毛布代わりとなって冷え冷えの部屋で凍える俺を抱えながら食べるアイスが美味い、ということだ。
 実をいうとこのやり取りは毎年恒例で、真夏に五条さんのところに泊まると一度はしている定番の押し問答なのだ。最初は扇風機と百円均一の店で買ってきた安い風鈴1つで夏を乗り切っていた俺たち姉弟を見かねて、五条さんがエアコンを買ってきてくれたところから始まり、ある程度の歳になればエアコンを使うのにだってお金がかかることを理解し、必要最低限しか使っていなかった俺たちを更に見かねて「夏といえばクーラーがんがんに効いた部屋でアイス!」と言い出し、それが更に歳を重ねて関係が少し変わったあとも続いている。確かにひんやりした部屋で3人で毛布にくるまりながら食べたアイスは美味しかった。けれどそれももう昔の話。少なくとも今の俺は過ごしやすい温度に整えられた部屋で凍えることも汗もかくこともせずに本を読む方が好きだ。ひんやりしていてもいいが、限度がある。
「段々エスカレートしてません?今年はまじで寒すぎ」
「そう?ちょっとやり過ぎたかな」
「せめて俺が過ごせるくらいにしてくださいよ」
「ん。また来年もこうしてアイス食べようね」
 嫌だとも分かったとも返事を返さなかったが、俺の返答は五条さんには筒抜けだろう。
 その後アイスを持ってくるのを忘れた五条さんが寝室から出て行った時に、こっそりエアコンのリモコンを手に取ったら設定温度が18度になっていて思わず冷房を切った。

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確信犯と横着者


 桃の上部に軽く十字の切り込みを入れ、沸騰した湯に入れる。切り込みを入れた部分の皮が浮いてきたら取り出し氷水につける。そうしたら後は皮をそのまま剥くだけ。
 つるんと引っ掛かることなく皮が剥けて、思わず小さな感動を覚える。スマホで調べたら一番上に出てきた記事を元にやってみたのだが、これがなかなか上手くいった。伏黒はちょっとした達成感と共に湯剥きした桃を一つずつ皿にのせてリビングで待つ五条の元へと向かった。
「桃剥けましたよ」
「ありがとぉ~…てなにこれ。切ってないじゃん」
「面倒くさくて」
 手がべちゃべちゃになるじゃん!と文句を言うが、桃を持ってきて食べたいから剥いてと押しつけてきたのは五条だ。夕食後のデザートに一人一つ丸のままの桃とは贅沢だが、それはそれ。どんな形で用意されても文句を言われる覚えはない。伏黒は五条の文句を聞き流して自分の分の桃を手に取った。冷水で冷えた桃は瑞々しく、伏黒の指先を濡らす。確かに手は汚れるけれど、今日はもう風呂に入って寝るだけ。気にすることなく齧り付こうとした時だった。
「よし、横着者の恵を次からは絶対切り分けたくさせたげる」
「は?」
「ちゃんと見ててね」
 言うなり桃を手に取った五条は大きく果肉に齧り付いた。溢れた果汁が指先を伝い、手のひらから零れて腕に細い線を描く。それがテーブルに零れる前に大きな舌でべろりと舐めあげた。伏黒の目を、真っ直ぐ射貫きながら。
 じゅうと音を立てて果汁を吸い、齧り付き、舐めあげるその動きは間違いなく伏黒を意識していた。肉厚な唇が桃に触れて捲れ上がり、ちらちらと白い歯と真っ赤な舌が覗く。じゅると音を立てて伏黒の舌を吸い上げ、身体に齧り付き、舐めあげる。その時と同じ、湿度感。
「っ、性格、悪いですよ」
「何が?」
「…そこまで不満なら、自分で用意したらよかったじゃないですか」
「不満っていうか、適当でももう少し食べやすく出してくれると思ってたって感じ。ほら、最後までちゃんと見て」
 種を残して全てを食べきった五条が手のひらから指先まで丁寧に果汁を舐め取っていく。その動きだって、嫌な意味を含ませている。伏黒が汚してしまった指を、見せつけるように綺麗にするのと同じ動き。
 結局、五条が食べ終わるまで伏黒は一口も食べられなかった。見てと言われたとおりに馬鹿正直に見てしまって、冷水で冷やされていた筈の桃はすっかり温くなっていて、表面も色が変わり始めている。肘まで伝った果汁がテーブルに一つだけ点を描いていた。
「次はちゃんと一緒に食べられるように切ろうね」
「…最悪」
「っははは!じゃあ僕は先にお風呂入ってくるから、恵はゆっくり食べててね」
 あ、恵がお風呂からあがる時にはバスタオルも一緒にベッドに持ってきて。そう告げて五条は種だけになった皿を持ってキッチンに消えていった。
 桃にゆっくり齧り付けば、温いはずのそれがひんやりと心地いいくらいだった。

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麦茶といたずら


 年々夏は厳しくなっている。窓を開けて扇風機を回して冷たい麦茶でも飲めば夏を感じられたのは昔の話で、今や突き刺さる日差しから逃げるようにクーラーの効いた部屋に籠るのが今の夏だ。しかし、それだけ暑くとも授業はあるし、任務だって外を駆け回る。蝉の鳴き声を背に、今日も教え子たちはグラウンドで稽古に勤しんでいる。山の中にある分、街中よりは幾分マシな暑さだろうが、それでも暑いことには変わりない。
 生徒たちへの差し入れとして自販機で適当に飲み物をまとめて買った五条は、グラウンドへと向かいながら毎年この時期になると体調を崩しがちな伏黒のことを思い出した。幼い頃から夏の日差しと湿気が苦手で、食欲が減っては夏風邪を引きやすくなるのだ。五条も忙しい身、そう頻繁に様子を見に行けたわけではなかったが、クーラーもないあのアパートに顔を出すときは決まってアイスをお土産にしていた。開け放した窓から入り込む蝉の鳴き声と、扇風機が送る温い風に当たりながら冷蔵庫で冷えた麦茶と一緒にアイスを食べる。もうすっかり懐かしいものになってしまった夏の思い出だ。
痛いくらいの日差しが差し込む廊下を歩きながらグラウンドの方を見れば、隅っこの方に座っているのが一人。どれだけ離れていたって分かる。伏黒だ。眩しいのか少し目を細めてじっと稽古を続けている虎杖たちを眺めていた。その顔がいつもより少し白い。
 足早に廊下を進み、一歩外へと踏み出せば一気に汗が滲む。なるべく気配を消して伏黒の背後に回った五条は手に持っていたペットボトルを持ち上げた。
「サボり?」
「っ、…な、にすんですか」
 結露で水滴が滴るそれを急に頬に当てられて大きく伏黒の身体が揺れる。犯人の目星はすぐについたのか、五条を見上げる目に苛立ちはない。
「差し入れ持ってきたんだけど、サボってる子がいたからちょっといたずら」
「サボりじゃなくて休憩してたんですよ。すぐ戻ります」
 頬に当てられたペットボトルをそのまま受け取って、今度は首筋に当てた伏黒が小さく息をつく。額から流れた汗が頬を伝って首筋へと消えていく。その横顔はやはり覇気がない。
「相変わらず夏に弱いね」
「…んなことないです」
「ま、そういうことにしといてあげるけどさ。悠仁達に心配させたくないんなら、ちゃんとご飯食べて水分とりなよ」
「飯くらい、ちゃんと食べてます」
 分かりやすく顔を顰めた伏黒の頭を軽く小突いて、未だ保冷剤代わりにしているペットボトルを取り上げる。キャップを捻って差し出せば、何か言いたそうな顔で渋々受け取った。人に心配されたくなくてすぐ隠そうとする。隠すのだけは上手い伏黒のことだ、五条が来なかったらこの稽古が終わって自室に帰るなり夕食を食べるのも忘れてベッドで寝落ちるだろう。
「はいはい、ちゃんと食べてるってことにしとくから飲んどきな」
「…はい」
 夏が苦手な伏黒は、冷たい麦茶だけはよく飲んだのだった。

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僕の恵ってえっちだ
ちょっと喘ぐ


 熱いセックスをした日の朝の恵はへろへろのへにゃへにゃで使い物にならない。昼近い時間にゆっくりと目覚めて、掠れた声でうんうん唸りながら布団の中で丸くなったりして二度寝するか悩み出す。恵がこうなることを見越して、翌日が休みの時に熱くて溶けるようなセックスに勤しむわけだ。
 今現在布団の中でもぞもぞと動いている恵はまさしくそんな夜を過ごした恵で、僕はペットボトルの水を片手にベッド脇に腰掛けてそれを眺めていた。
「恵、水持ってきたよ。飲む?」
「……のむ」
 二度寝するか起きるか、重い身体で悩んでいる恵に声をかけるとのそりと布団から顔だけ生やす。寝てたら飲めないよ、と声をかけながら恵の上体を起こしつつ僕はネットの片隅に流れていた噂を思い出していた。寝てようが水なんていくらでも飲ませられるが、わざわざ起こしたのはその為だ。これが本当だったらエロ漫画みたいだなぁ、などと殆ど読んだことのないジャンルの漫画のことを思い浮かべる。
「はい。ちゃんと持ってね」
「…ん、」
 普段なら口が広くて飲みやすいコップか、寝そべったままでも飲めるように口移しなりで水を飲ませているのに今日はペットボトル。その違和感にも気付かないくらいへにゃへにゃの恵は無防備で、上手く水も飲めなくて小さく噎せる。
「…っけほ、ぇほ、」
「あーほら、ゆっくり飲まなきゃ」
「っん、げほ、…はい………っ」
 噎せて身体を丸める恵の、背中ではなくてお尻に近いあたり、尾骶骨の上をとんとんと優しく叩く。宥めるふりをして優しくそこに振動を与えられ、呼吸を落ち着かせようとしていた恵はぴくりと身体を一度震わせた。
「ん?どした?」
 顔を覗き込んでみれば不思議そうに目を丸くして突然の違和感に頭をフル回転させているようだった。じわじわと頬が赤くなっている。僕がネットの片隅で見かけた話はどうやらまるきりの嘘ではなかったらしい。
 昨夜もそうしたように、いつも僕が恵の奥を暴く時と同じリズムで尾骶骨を軽くとんとんと叩いていると、再び恵の身体が震えた。先程のように一度じゃなくて、何回か震えてはぎゅうと身体を縮こまらせる。
「っあ………?…、っ?」
「大丈夫?」
「ま、っ…なに、あっ…これ……」
 間違いなく軽い絶頂を迎えた恵に何も知らないふりをしながら同じ振動を与え続ける。このまま続けたら次はもっと深い絶頂を迎えるだろう。昨夜も僕の前で見せてくれた、射精を伴わない深い絶頂を。
 気がついたら口の中に溜まっていた唾液をごくりと飲み込む。興奮と好奇心とで飲み込む音がやけに大きく響いた気がした。恵がいうには射精を伴わない絶頂は際限がないのだという。昨夜も恵は何度も身体を震わせては、瞳の焦点を曖昧にしていた。気持ちよさそうに全身を真っ赤にして、声も出せないくらいの快感に意識をふわふわとさせていた。僕だけが見ていい、僕だけが与えられる、恵だけの一番の快楽だ。
「…めぐみ、」
「っは、ゃめ、っあ、ぁ…〜〜っ!!」
 恵の手からペットボトルが落ちて布団を濡らしていく。けれどそんなことにも気付かずに恵は布団を握りしめて、身体を小さく丸めて、びくびくと震えている。震える合間に小さい喘ぎが漏れるだけで、意味のある単語はひとつも出てこない。首まで真っ赤な恵に構わず同じところに振動を与え、時折ゆっくりとなぞりあげては絶頂の余韻を長引かせる。
 僕は少し感動していた。だってネットで見かけた嘘みたいな話が本当だったのだ。何も出さない深い絶頂を迎えたら、次の日もちょっとした刺激で思い出して達してしまうなんて。エロ漫画なんて殆ど読んだこともないし、AVだって昔にちらっと見ただけで殆ど覚えていない。それでも今目の前で起きている現象は間違いなく、漫画みたいにエロいってやつだ。どうしよう、僕の恵はすっごくえっちだ。
「は、っはぁ、…あ、もぅ…やめ…っ、」
「…ね、恵、昨日のつづ、」
「…やめ、ろって…っあ、言ってん、だろ…!」
「え」
 次の瞬間、恵の右ストレートが僕の顔に真っ直ぐ飛んできた。ベッドの上じゃそんな事する余裕ないじゃんとか、さっきまでへろへろのへにゃへにゃだったじゃんとか、すごいキレてるとか、色んなことが頭を駆け巡った上で僕の無下限が危険だと判断して自動で恵の拳を防いだ。真っ赤な顔で僕を睨む恵は未だに余韻に小さく震えていて怖くもなんともない。が、この後の恵がものすごく怖いことは知っている。よく叱られている僕はよく知っている。
「分かっててやってんだろ…」
「…いや〜…?」
「嘘つくな!どこで変な知識得たんだか知りませんけど、人の身体で遊ぶな…!最中でもないのに…!」
 最中ならいいんだ。
 揚げ足取りだとは分かっていても恵の発言をしっかり胸に刻んで僕は反省した顔をする。たぶん恵も僕が本気で反省してるとは思ってないだろうけれど、形ってのは大事だ。僕も恵に甘けりゃ、恵も僕に甘い。
「あのさ…昨日の続きをする気なんてのは…」
「あるわけないでしょ」
 だよねぇと笑いながらネットで見かけたのだとネタばらしをする。 ついでに濡れた布団を剥ぎつつ、僕は懲りずに次は最中にやってみようなんてことを考えていた。
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つまりは惚れた弱み


 デリカシーが無いというと槍玉に上がるのはいつも僕だが、しかし苦言を呈したい。恵だってデリカシーがない。
 僕の隣でうっすらと額に汗を滲ませてあつあつのカレーうどんを食べている恵は、おでこに張り付いた数本の前髪に気づいていない。有名うどんチェーンの初夏限定カレーうどんが食べたいと言ったのは僕だったが、その提案に文句も言わずに「いいですね」と恵が着いてきた理由は分かっている。麺をすするのが苦手なのもあって音も立てずに静かに食べている恵は、時折お手拭きで自身のシャツを拭いていた。これだ。こういうところがデリカシーがない。
 テーブルの下でぴとりと僕の足に自分の足をくっ付けている恵は、無下限のお裾分けをしてもらっている。
 僕の無下限があれば確かにカレーうどんが跳ねてもシャツには付かないし、お手拭きでさっと拭くだけでぴかぴかだ。でも、僕が無下限をお裾分けしなかったら絶対カレーうどんなんて食べに行かない。アンタひとりで行ってください、なんて可愛くないことを言う筈だ。
「…前から思ってんだけどさ」
 人のことをエプロン扱いするのはどうなの?その僕の言葉に、恵は不思議そうに瞬きをした。少し考えてから言ってることを理解したのか、うどんを静かに飲み込んで言った。
「エプロン扱いとかじゃないですよ。便利だなとは思ってますけど」
「人を便利アイテム扱いして!」
「物扱いはしてませんって」
「じゃあ僕が恵にくっつかないでねって言ったらカレーうどん食べに来た?」
 少しの間。
 ちらと視線を泳がせた恵はあっけらかんと言った。
「行かないですね。汁はね気にして食べるのめんどくさいんで」
「ほらも〜!夏もさぁ、僕の影ん中潜って移動すんじゃん。あれだって僕のこと涼しいタクシー扱いしてるってことでしょ?」
 真夏になると、恵は僕の影の中に入って移動する。僕の後ろに陣取って日陰にいるとかそんなんじゃない。本当に影の中にすっぽり潜ってしまうのだ。アイス食べたいからコンビニ行こうよ、なんて言うと二つ返事で「良いですよ」と返してしれっと人の影に潜り込む。そして僕に移動させてコンビニ近くで何食わぬ顔で這い出て、外暑いですねなんて言う。1番暑いのはここまで移動してきた僕なのに!
「汗かくの嫌なんですよ」
「それは僕も」
「それにあんたの影、居心地いいんですよね。好きな相手だからですかね?」
「……っぐ、」
 小さく首を傾げて可愛いことを言う。これは僕がこの手の発言に弱いのを分かっての物言いだ。きっと恵はこの話題を面倒くさがっている。適当に可愛いことを言って有耶無耶にして、そしてまた僕を使って涼しく移動して安全にミートソーススパゲティでも食べるに違いない。今日こそは恵のデリカシーの無さにしっかり物申して、夏は一緒に汗だくになりながらコンビニ行って、無下限なんてなくても一緒にラーメンを食べにたいのだと伝えなくては。
「……僕だって、恵に頼られるの、嫌いじゃないし、むしろ嬉しいし」
「はい」
「…こういう頼り方してくるの、僕にだけだって…分かってるし……」
 深い深い溜息をして、項垂れた。
「今回だけだからね。次はお裾分けしてあげない」
 残念ながら僕の惨敗だ。どんな形でも、人のことを便利アイテム扱いしていようと、恵に頼られるのは嬉しい。僕にだけこんなどうしようもない甘え方をしてくるのは嬉しいに決まっているのだ。普段はしっかり者の恵が、僕には雑に甘えてくる。可愛くないわけがない。
「ありがとうございます。今日が最後なので、大事に食べますね」
 最後だなんて思ってないくせに、いけしゃあしゃあとそんなことを言った恵は静かにうどんを食べるのを再開した。

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今日はそういう日


 瞼をすり抜けた光が悟に起きろと声をかけてくる。それに抗うことなく、うーんと唸ってから悟はゆっくりと瞼を持ち上げた。窓から差し込む日差しは随分と眩しくて、今は何時だろうかと久しぶりに熟睡したお陰で軽い腕で枕元のスマートフォンを手に取った。
 ロック画面を表示。今日は5月24日。時刻は朝の8:30、ではなくて昼に近い10:45。
 その時刻を見て、悟は寝起きの気だるさなんて放り投げてがばりと起き上がった。
「もう昼!?」
 隣で未だにすやすやと眠っている恵を気にすることなく叫んだ悟は「恵!起きて!」と慌てて恵の肩を揺すった。あまりにも気持ちよさそうな寝顔に悪いとは思うがそれどころではなかった。
 今日は2人揃ってオフ。滅多にないことだからと今日は映画を観に行ってから遅めのお昼をのんびり食べて、それから適当に店を見て回ったりぶらぶらしたりしながら最後は夕食を食べて帰ろうと話していたのだ。映画以外は特に詳細を決めていない気ままなデート。の筈だったが、既に映画の時間まで1時間も無かった。今からダッシュで準備すれば間に合う?次の回ってあったっけ?ていうか今日を逃したら僕はもう観れない!そんなことを頭の中で高速で右往左往させながら恵の名前を呼んだ。
「ねぇ恵!映画!」
「…ん、なに、…るっさい…」
「もう昼!映画間に合わないよ!」
 ようやっと目を覚ました恵は心底迷惑ですという顔をして悟を見た。快眠を邪魔されて眉間に皺を寄せているが、瞳はまだ寝ぼけてとろりとしている。可愛い、可愛いけれど悟は心を鬼にして恵を叩き起こそうとした。
「急いで支度しなきゃ!」
「…もう、よくないですか…」
 むにゃむにゃとした声で言いながら悟の手を振り切り、恵は布団の中に潜ろうとした。なんならもう既に瞼が閉じられている。
「どうせまだチケット取ってないし…俺もごじょうさんも寝過ごしたんなら、そういう日なんですよ…」
「でも僕、今日しかこれ観れない!」
「配信でお願いします」
「そんなぁ」
 そんな攻防を続けていたらもう11:00を少し過ぎていた。今から急いで飛び出しても映画には間に合わない。既に公開から日にちが経っていて、1日の上映回数も1回か2回。早朝か夜遅くにしか枠がない中で、今日は奇跡的に昼頃に枠が設けられていた。そんな偶然が重なった休みにすっかり2度寝をする気の恵の隣に再び横たわり、頭の中で悟は今日の予定を1つキャンセルした。映画には映画館で観るからこその楽しみがあるというのに、恵もそれは知っている筈なのに、配信で観ろだなんて。冷たすぎやしないか。
「ねぇ、恵は僕とのデート嫌なの?」
「いや、とかじゃなくて」
「映画行ってご飯食べてぶらぶらしよって言ってたのに」
「外出るのめんどくさくなったのはありますけど」
「こら」
「揃って寝坊したんだし、今日はふとんでごろごろ、が、いいです」
 くあ、と欠伸を零した恵は悟の方を向いてきゅ、と唇を摘んだ。拗ねてとんがった悟の唇を摘んで、分かりやすく機嫌を取ろうとしている。そして、そのご機嫌取りに悟は弱いのだ。
 むにむにと唇を揉んで、ついでに軽い触れるだけのキス。
「配信きたら、一緒にみましょう」
「…恵だけ先に観たりしない?」
「っ、ふふ、しませんて」
「何笑ってんの」
「すっげぇ拗ねてる」
 誰のせいだと思ってんの!そう叫んだ頃には、実のところ悟の機嫌は恵のキスで半分くらい直っていた。観たかった映画が観れなくなったのも、この調子だとランチを食べに行くのも流れるだろうし、下手したら夕方くらいに近所のスーパーに行って夕飯の買い出しだ。予定が全部ぐたぐたになって、久しぶりのデートらしいデートはもうどこかに行ってしまった。
 けれど愉快そうに口元を緩めた寝ぼけまなこの恵が、悟の唇にもう一度キスを落としてから腕の中で寝落ちるもんだから、そりゃあ多少の機嫌も直るに決まっているのだった。

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反省の弁は要らない
話に出てくる一回目はこれ▶彼シャツトレンカ


 事後、恵は怒ると布団の中にまんまるに篭ってカタツムリになる。今日手に入れた豆知識。
 僕は目の前にある大きなカタツムリを前に、小さく溜息を吐き出した。恵に呆れた溜息ではなくて、この殻を剥がして顔が見たいんだけどな、という溜息だ。
「恵ぃ、そろそろ中暑くない?」
「次やったら殺す」
「物騒なこと言わないの」
 ちょんちょんと布団をつついて声をかけるも、さっきから恵の返事は「次やったら殺す」の一択だ。布団の中は暑いだろうに、それでも中に籠ったままこれしか言わないのだが原因は僕にあるばかりに下手に強く言い返せなかった。
 恵が事後の甘い空気もなくこれだけ怒って拗ねている理由。ざっくり言えばセックスで恵が嫌がることをしたからだ。何をしたかあけすけに包み隠さず言ってしまえば、恵に潮を吹かせた。実は恵に潮を吹かせたのはこれが2度目なのだが、前にトレンカを履いたままの恵にストッキング素材を使って擬似ローションガーゼのようなことをした際にしたのが1回目。その時も恵は未知の快感に嫌がり、初めて目にした潮に漏らしたのかと真っ青になって一波乱あったりしたのだが(その後、仕切り直してセックスを再開することになったのだが、1度シャワーを浴びると言って恵は1時間ベッドに戻ってこなかった。思えばあの時から相当怒っていたのだろう)、あれから時間もだいぶ経ったし快楽で頭もふわふわしている終盤なら意外といけるだろうという僕の読みが外れた。
 気持ちよさそうに果てて、そんな恵につられるようにして僕も果て、眠そうな恵の為にシャワーは起きてからにしようと一先ず水を取りに行ったら、互いの体液やら何やらでぐちゃぐちゃのバスタオルがベッドの下に蹴落とされ、代わりに隅に寄せられていた布団を頭から被った布団つむりの恵が爆誕。気持ちよさで頭がぽやんぽやんになっていても嫌なものはしっかり覚えていたのだ。
「あれっておしっこじゃないしさ、気持ちいいから出るものだし、僕は気にしないよ」
「あんたが気にする気にしないじゃなくて俺が嫌なんですよ」
 くぐもった声が久しぶりに「次やったら殺す」以外の鳴き声を発した。もしかして対話の余地が生まれたのかもしれない。
「やっぱ恥ずかしい?でも見てるの僕だけだし」
「だからあんたが見てようが見てなかろうがどうでもいいんですよ。俺が恥ずかしくてマジで嫌だっつう話なんですけど。分かってます?」
 今舌打ちが飛んだな。対話の余地があるかと思ったけど僕の勘違いだったらしい。言葉に棘が多い。
 うーん、と唸ってこの子をどうするか考える。早いことここから出てきて顔を見せてほしいし、ついでに次の機会もほしい。好きな子のえろい姿なんていくらあってもいいし、見れるんなら見たいに決まってる。今回の恵は正直かなりきたし。
「あれが癖になったらどうするんですか。毎回あんなの出すようになったら困る」
「…すごくえろいな!?」
「やっぱ次やったら殺す」
 恵の言葉に思わず想像して考えるより先にえろい!と声が出てしまった。所謂ハメ潮ってやつ?実際には見たことないけど恵で想像したらすごくえろい。見たすぎる。そんな僕の心の声が飛び出してしまったのは不可抗力というやつだ。さっきも思ったけど好きな子のえろい姿はいくらあってもいいに決まってる。
「ごめんて、でも正直そんな恵はすごく見たい。えろすぎる」
「殺す」
「次こそ事前にお願いするし」
「絶対嫌です」
「ベッドもっとべちゃべちゃになっても平気なように防水シーツ買うし」
「しつこい」
「絶対気持ちよくするし!」
「だからそういう話じゃないつってんだろ!」
 がばりと布団つむりが起き上がり、真っ赤な顔をした恵が叫んだ。暑いからか、それ以外か、首まで真っ赤な恵は僕の頭をすこんと叩いた。グーじゃなかったのは温情か。
「っき、気持ちよくするとかしないとかじゃなくて、ベッドぐちゃぐちゃになるのが嫌とかじゃなくて、俺が恥ずかしいから嫌だつってんでしょうが!」
「気持ちいいから出るもんだから恥ずかしくないって!」
「知るか!俺は恥ずかしいんですよ!日本語分かります!?」
「分かるよ!日本人だもん!」
 恵にぺし、ぺしと頭を叩かれながらどっちも譲らない押し問答を繰り返していたが、やがて恵の方が折れた。折れたというよりは、この恥ずかしいから嫌!えろいから見たい!の押し問答のあほらしさに疲れたと言うべきか。未だ赤いままの顔で恵は舌打ちをしてから僕の鼻を摘んだ。痛い。軽くとかじゃなくて鼻折れそうなくらい本気で掴んできてる。
「…次やる時は絶対事前に言うこと。絶対はいとは言いませんけど、とりあえず俺の承諾を取ってからにしてください。絶対はいとは言いませんけど」
「……はい」
 あっ、たぶんこれ、本気で頼み込んだらやってくれるやつだ。僕はそう気付いたが真面目な顔を作って真剣に頷いた。恵は押しに弱い。本人がそれをどこまで自覚しているかは知らないが、とにかく僕の粘り勝ちだ。でも掴まれてる鼻が取れそうだから、次にお願いするのは暫く間を開けてからにしよう。3ヶ月、じゃ早い。半年くらいならギリかな。
「…はぁ…こんな事に時間使ってあほらしい…俺もう寝ます。あんたは床で寝てください」
「えっ、」
「落ちてるタオル片付けといてくださいね。布団に入ってきたら殴ります。おやすみなさい」
「えっ…」
 僕の粘り勝ち、の筈だけど恵の機嫌は直らなかったらしい。さっさと布団の中に戻っていった恵はそれきり僕の方を振り返ることなく眠り始めた。疲れていたから寝るまで5秒。
 あっという間に放置された僕は、そんなぁ、と呟いてぐちゃぐちゃのバスタオルを掴んでベッドルームを抜け出した。
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