薄明

ごじょうさとる×ふしぐろめぐみ
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閑話休題

 決して身体が小さいという訳では無い筈だし、今も少しずつ背丈は伸びているが、きっと五条の服を借りて肩が滑り落ちない日は来ないのだろう。丈の長いシャツとなれば履いている下着がすっかり隠れてしまう程度には裾が余る。だが伸びても伸びても足りないこの身体が悔しいと思うのはとっくにやめた。
 シャツから伸びた素足にフローリングの床。足裏の体温と床の温度が混ざって溶けていくのを感じながらキッチンでぼんやりとケトルが沸くのを待つ。もう夏の名残は随分と薄れ、冬へと少しずつ季節は変わっていた。すっかり短いものとなった、あっという間に過ぎ去る秋だ。目覚めた時には太陽はもう真上から少し落ち始めていたが、陽も短くなり始めた9月となればやっと見たこの太陽もすぐに姿を消すだろう。随分と贅沢で、勿体ない休日の使い方だ。
 用意したマグカップは自分の分の一つだけ。よく寝ている五条がいつ起き出すか分からないからケトルの中身は2人分。
「恵ぃ、僕の分ないの?」
「…あんたの寝顔でも見ながら飲もうと思ってたんで」
 しかしケトルが沸いたことを知らせると同時に、いつの間に起き出したのか五条に後ろから抱き締められる。背後から伏黒と同じ素足の音がしたから気付いてはいたが、振り向かなかったのは五条がこうすることを分かっていたからだ。分かっていて動かない、ということはつまりそういうことだ。
「へぇ、優雅な朝じゃん」
「もう昼過ぎですよ」
 背中に五条を貼り付けたままシンクの水切りに置かれていたカップを手に取る。伏黒と同じインスタントコーヒーを適当に入れ、ケトルの中身を注いで手渡せば「ちゃんと用意してるじゃん」と五条がくつくつと笑った。スウェットの下しか身に付けていない五条の素の胸が頭の後ろに触れ、じんわりと熱を伝える。寝起きの人間特有の眠気を誘うようなぬるい温度は昨夜とは真逆だ。触れられるだけでそこから五条の温度に染まっていく様な昨晩を少しだけ思い出す。窓の外では涼しくなり始めた風が吹いているだろう。伏黒の項だけが勝手に熱を持つ。
「ねぇ、今日は砂糖何個まで?」
「3」
「けち」
 伏黒の背中から離れた五条は、キッチンの戸棚にあるシュガーポットから言われた通りの角砂糖を入れながら口を尖らせた。それを何の気なしに目で追いかけて、深い意味はないのだけど、年齢も考えずに口を尖らせた五条が少し可愛くて可笑しくて横から手を伸ばす。既に蓋の閉められたシュガーポットを取り上げて、閉められたばかりの蓋を開ければ五条は「珍しいね、ブラック派じゃん」と目を丸くして言った。青い目が昼過ぎの光を受けて瞬く。
「ブラックのままですよ」
 先程伏黒が五条を目で追ったように、今度は五条が伏黒の動きを追う。その視線から逃げる様にシュガーポットへと視線を落として、その中身を五条のマグカップへと3つ落とした。
「俺の分の3個、あげます」
 伏黒の動きを追いかけて音もなく溶けていく追加の角砂糖3個を呆然と見つめている五条は少しだけ間が抜けている。昔からよく表情のよく変わる人だった。それが見ていて飽きなくて存外好きなのだと、言ったことはあっただろうか。
 勝手に緩む口元を隠しもしないで、立ち尽くす五条をそこに置いたままリビングへと向かう。リビングと繋がる開けっぱなしのドアからは寝室が覗いていて、寝乱れたベッドがそこにあった。昨夜伏黒が寝落ちた後に整えてくれたのだろう、少ししか乱れていないそれにまた少し気恥ずかしさを感じる。着替えもそこにあるのだが、取りに行こうという気にはならなかった。
「…はぁ〜〜……」
 未だキッチンに立ち尽くしたままの五条から大きなため息が聞こえて、けれどそれが悪い意味ではないことは明らかで伏黒は持ち上がりそうになる口角をコーヒーを1口啜ることで誤魔化した。
 必要最低限のものしかない五条の部屋。高専にある職員寮とは別にあるこの部屋は、遠征で遠くに出向くことの多い五条がわざわざ帰るのが面倒な時に寝る為だけに借りている部屋だ。最初は何もなかったこの部屋に電気ケトルやら揃いのマグカップやらインスタントコーヒーやらを置き始めたのは伏黒だが、カーテンやソファ、ローテーブルを置いたのは五条になる。示し合わせた訳では無いが、自然と2人が持ち込んだものが増えていった。津美紀が起きなくなってから少しずつ訪れるようになって、そろそろ1年経つ。ここは誰も知らない五条と伏黒だけの城だ。
 家具は少しずつ増えているとはいえこの部屋にテレビはない。座ったソファの目の前にあるのは時計だけがかけられた白い壁だ。そもそもの物が少ないからチェストを買う必要もなくて、かろうじて置かれた時計だけが壁を彩っている。コーヒーを啜りながらぼんやりと見た時計はもう3時半を指していた。
 やがて動き出した五条が忙しない足取りで伏黒の隣に腰掛けると、その勢いでソファのスプリングが跳ねてカップの中のコーヒーが暴れた。
「ちょっと!危ないでしょう」
 服にこぼれることはなかったが、危ないだろうと五条を叱る。しかし行儀悪く角砂糖6個が溶かされたコーヒーを持ったままの五条は伏黒の言葉など気にもしないで肩口に額を押し付けた。剥き出しになった首元に髪が触れて擽ったい。
「だから、危ないって言ってるでしょ」
 自分の分と五条の分のマグカップをテーブルに置きながら再度言えば、空いた両腕でもって抱きすくめられた。伏黒より逞しい腕が簡単に腰を絡めとって動けなくなる。
「さっきのは凄いグッときた」
「は?」
「めちゃめちゃ愛されてんの感じてすごい心にきた」
 たかが角砂糖3個分。たったそれだけの安すぎる愛だ。こんな安すぎるものでこんなにも喜んでもらえるのなら、いくらあげたっていい。そんなことを思う。ここは伏黒と五条しかいないのだから。何をしたって、何を思ったって、誰にも分からないのだ。
 だが伏黒はまた今度あげますよ、とも気が向いた時くらい、とも次はそのうち、とも言えなかった。
「安い感動ですね」
 未来の約束を簡単にできるほど、伏黒は強くはないのだ。当たり前のように次の朝日を拝むことが出来る保証だってない。こういう約束が出来るのは五条みたいな人間だけだ。
 これが最期のコーヒーかもしれない。なんて。
 手持ち無沙汰になった両腕を五条の頭に乗せて犬にするように撫で回すと、されるがままになっている五条の腕の力が少しだけ強くなった気がした。起きる前はベッドシーツがぐちゃぐちゃになるような事をしていたのに、こんな時間に起き出してみればそんなの忘れたようにコーヒーを飲まずにじゃれ合う。唯一の名残といえば寒々しい伏黒の足と五条の上半身くらいだろうか。
「恵」
 不意に顔を上げた五条と目が合う。宝石みたいだ、なんてよくある表現が似合う瞳に伏黒が映っていた。虎杖にも釘崎にも、津美紀にだって見せられないようなだらしの無い顔をした自分がそこにいた。
「好きだよ。すごく好き」
 知ってる。そう答えようとしたのに言葉は寄せられた唇に挟まれて消えてしまった。


___

 流れる血に比例して体温がどんどんと下がっていくのが分かる。指先なんて冷えきってしまってもう感覚だって曖昧だ。それでもただ殺されるのを待つことなんてできやしなかった。少しでも自分の後に残る人達が報われるように。助けになるように。出来ることはしないといけないのだ。
 もう動くことすら出来ない伏黒の後ろで、呼び出された大きな人の形をした式神が一切の容赦なく腕を振り上げたのを感じた。
 死ぬつもりで生きていた訳では無い。でもいつ死んでもいいようには生きていた。悔いのないように死ぬのは難しい。自分が死ぬ時のことなんて誰にも分からないからだ。それでもなるべくいつ終わってしまってもいいようにしてきた。けれど、時間にしてほんの一瞬だろうに伏黒の頭の中では色々な事が流れ出す。これが走馬灯か、なんてそんなことを思い浮かべることだって出来た。
 後でな、なんて言葉を交わしておきながら守れやしない。だから伏黒は次のある約束が好きじゃなかった。次なんてない方が悔やまずに済むのに。悪い、なんて謝ったって誰にも届きやしない。死ぬ時は独りだという五条の教えは正しかった。
 後悔を浮かべるとしたらその守れなかった口約束と、津美紀が起きるのを待てなかったことだろうか。それと、なんて浮かべそうになった未練は考えないようにした。
「先に逝く」
 伏黒にとって五条とは絶対の無いこの世界で唯一絶対いなくならないと思える人だった。今となってはその絶対は崩れ去ろうとしているが、まだこの戦いが終わらないうちは辛うじて伏黒はその絶対を信じれた。
 朝日を迎えた頃か、それともまだ先か。もう伏黒が知る術はないが、とにかく伏黒がいない先で五条がまたあの部屋に訪れることがあればいいと思う。その時にほんの少しでも伏黒のことが頭に過ぎれば、それだけで。
「せいぜい頑張れ」
 しかしそれでも、振り上げられた腕が当たる直前、浮かべないようにしていた事がやはり伏黒の中に未練たらしく浮かび上がる。
 あの日入れた角砂糖は、結局2度目はなかった。


____

 ふっと目を覚ますと、すぐ目の前に五条の寝顔があった。ただでさえ作り物の様な顔が、目を閉じられて動かなくなってより一層作り物じみて見える。部屋はうっすらと明るくて、それで今が朝日の昇り始めた時間なのだと知る。薄ぼんやりした中でも五条の姿は僅かな光を吸い込んでよく見えた。
 手を伸ばして五条の頬に触れれば当たり前に暖かくて、その事に涙が出そうになった。ちゃんと暖かくて柔らかくて、そこにいる。そのまま五条がよく寝ているのをいいことに飽きずに頬を撫でたり摘んだりしていれば眼前の長い睫毛が震えた。咄嗟に離そうとした手が掴まれる。
「撫でるだけ?」
 持ち上げられた瞼の向こうにある瞳がじっと伏黒を見た。こんなに顔を触っていれば起きることなんて分かっていたけれど、五条が起きたことにほんの少しの気まずさとそしてそれ以上の喜びがあった。五条がここにいることだって嬉しい、でもそれ以上に伏黒が自らの手で再び五条の温度に触れられていることに胸が詰まる。
 五条の言葉へ返事はせずに、浮かんだままの言葉を取り留めもなく落とした。
「…俺の手で触れてることに感動しました」
 掴む腕は伏黒の動きを止めるほどの力はなくて、頬に乗せていた手を今度は寝癖知らずの素直な髪へと滑らせた。少しずつ少しずつ白んでいくベッドの上で伏黒の指と五条の髪とが絡み合う。
 ただ触れるだけの感動。安い感動だ。そう思っても伏黒も五条も言わなかった。この安い感動と愛でもって五条と伏黒の関係は成り立っているのだ。幸せなんていうのは、安ければ安いほどいい。それこそ角砂糖3個分くらいの。
 いつ死んでしまってもいいように生きてきた。これからだってそうだ。朝早いから二度寝でもしようか、なんて言って二度と目が覚めないとしてもいいように。この場合、目が覚めないのは伏黒だけだが、それでもいいように。しかし未練というものは、結局最期の瞬間には浮かんでくるものなのだろうけれど。
「そ、いい朝じゃん」
「早朝すぎますけどね」
 白んでいく空が少しずつ寝室に色を与えていく。2人が持ち込んだ物しかない寝室にはベッドとサイドチェストしかない。時計なんてものはなかった。昇る朝陽だけが時間を教えてくれる。
 美しい時間とはこのことを言うのだ。
 今朝の伏黒はいつもよりセンチメンタルで、涙腺も脆い。それはきっと、たぶん、最期を垣間見たからに違いない。
「コーヒー、飲みますか」
「恵がいれてくれるなら飲もうかな」
 冬の空気はひやりとして布団から出ている腕が寒いくらいで、そしてやっぱりまたこんな朝が欲しいなんて言えなかった。

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