薄明

ごじょうさとる×ふしぐろめぐみ
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きらきらぼし
事変終わった直後の話。ここまで大変なことになると思ってなかった頃に書いた。野薔薇ちゃんが生きてる

 「あんた、酷い顔してるわよ」とは釘崎の言葉だ。どんな顔だと聞けば鏡を見ろとだけ吐き捨てられ、それから釘崎にあれよあれよという間に高専の裏口から叩き出されてからやっとあれが釘崎なりの優しさだったのだと気付く。虎杖の捜索は明日からだが、釘崎が言うには予定時刻に現地にいればいいらしい。何かとばたついていて人員をそこまでしっかり動かす力がないのか、それとも釘崎が上手く上に言ってくれたのかは分からないが。
 少し空を見上げれば真っ青なそこに似合わない黒い半球が見えている。大きすぎる帳は離れていてもその姿がよく見えた。あの中に虎杖がいて、その虎杖を見つける為に行かねばならない。津美紀だってやっと目が開いたかと思えば本人の与り知らぬところでまた大変なことになっている。どうにかしなくてはと気持ちは急いて、やることだって多くて、でも時間が足りない。焦りと不安とで精神がすり減るのが目に見えて分かった。
「…叱られっかな」
 そう零した声は誰もいない裏口の扉の前に消えた。

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 たった数日で人が随分と減った東京は、その状況も相まって閑散としている。電車やバスもすっかり1日に走る本数が減り、都内へ出入りする公共交通機関が途絶えるのも時間の問題だろう。高専を追い出されてしまったものだからとりあえず駅へ向かおうにも、そこへ向かうバスも随分と減っていた。しかし幸いにも、雑にマーカーで線が引かれたバス停の時刻表には次のバスは15分後だとあった。これを逃したら次は2時間後で、流石にバスの時間まで見越して追い出したわけでもないだろうがほっと胸を撫で下ろした。
 やがてやってきたバスに乗り込めば車内には誰もおらず、そこから駅へ向かう途中でいくつかバス停を経由したがそれでも乗り込む人間はいなかった。本当に人がいない。ちらほらとスマホを持った若者を見かけたが、きっと興味本位で写真なり動画なりを撮りに来た怖いもの知らずなのだろう。伏黒の背後にある大きな帳が今は溢れる呪霊をしまってくれているが、何かあったっておかしくはない。この状況が続けば、そのうち僅かに生き残った東京の外れも含めてここは丸ごと人が立ち入れなくなるだろう。
 曜日なんてもうこの街では意味などないようなものだが、一応日曜日だというのに駅に着いても人の姿は随分と少なくなっていた。ここから電車に乗って2駅程都会から外れた方へ行けば五条が寝るためだけに買ったマンションの一室がある。高専からそう離れていない場所に何故買ったのかといえば、あの人はあっけらかんと「恵が来やすいから」と言ったものだった。もっといい場所もあっただろうに、その程度の理由でわざわざちょっとだけ都会の喧騒から離れた場所を選んだことにあの時は呆れもしたが、今となってはそれが幸いした。
 近い将来ここへは通らなくなるだろう電車に揺られ、幾度か足を運んだ駅へと降り立ち五条が用意したマンションへと向かう。伏黒が高専に入る少し前に買ったそこは、思っていたより早く家主の帰らない部屋となってしまった。五条がそこに何度訪れたのかは分からないが、伏黒は渡された合鍵で何度か寝る為だけに無断で訪れたことがある。日当たりがいいその部屋は夢も見ないほどよく眠れたのだ。
 あの部屋の冷蔵庫には何も無い。寝る為だけの部屋なのだから当然といえば当然なのだが、食べ物も無ければ簡単な調理器具も調味料も何も無い。お湯だけはすぐ湧かせるようにと何度目かに訪れた時に勝手に電気ケトルを持ち込んだのだが、五条がそれを使ったことがあるのかは分からない。電子レンジすらないあの部屋にあるのは単身者用の小さな冷蔵庫とマグカップが2つとやかん、それから伏黒が持ち込んだ電気ケトル。インスタントコーヒーの瓶と業務用スーパーで買った袋のままの角砂糖。あとは好きなだけ眠る為にある大きなベッド。訪れたことは何度もあっても、そこで五条と一緒に過ごした回数は案外少ない。あまり約束をしたがらない伏黒を知ってか一緒に泊まろうなんて言われたことはなかったし、伏黒から一緒に寝たいとも言ったことはなかった。伏黒が訪れたら五条がいた、起きたら五条がいつの間にか隣で寝ていた、そんな小さな偶然がぽつぽつとあっただけだった。
「らっしゃーせー」
 マンション近くのコンビニに入れば気のない店員の気の抜けた挨拶が伏黒を出迎えた。店内に人が殆どいないのをいいことに大学生くらいの店員はスマートフォンの画面を覗き込んでいるが、それが許されるほどここには人が来なくなってしまった。商品の仕入れも止まったのか、棚は品切れでいくつも穴が開いている。とっくにめぼしいものはなくなっていたけれど、運良くおかかのおにぎりが1個だけ残っていたからそれとペットボトルの緑茶を手に取る。レジへと向かう最中にすっかり数の減ったコンビニスイーツが視界に入って、その中にある生クリームがいっぱいのロールケーキも一つだけ手に取った。
 案外終末が近い世界なんてのは、こんな感じなのかもしれない。


 渡された合鍵を持って五条の部屋へ上がり込めば、玄関に置かれた姿見に酷い顔をした自身がいた。釘崎が言っていたことの意味をやっと知る。目の下にうっすらと隈が浮いて、疲れた顔をしている。明日から始まる日々に耐えられるかも分からないような。まだ始まったばかりなのにあまりにも心許なくて、釘崎が怒るのも納得だった。津美紀が見たら心配しながら叱るだろうし、五条が見たら呆れるだろう。どうしようもない様に自嘲して、明日の朝まで世話になるつもりの部屋の中へと足を進めた。
 リビングへのドアを開ければ、そこは最後に見た時と変わらないままだった。椅子のひとつもローテーブルのひとつも無いまっさらなリビングに、必要最低限の物すら揃っていないキッチン、閉じられた寝室のドア。もう時刻は昼を少し過ぎていて、窓から差し込んだ日差しがフローリングを温めていた。五条が選んだにしてはよくある普通の2LDKで、初めて案内された時に少しだけ拍子抜けした記憶がある。お金ばかりが有り余っている人だったから、もっと広くて目をむくような金額の部屋を選ぶんだと思っていたから。
 差し込んだ日差しに照らされて埃がきらきらと光るのが見えた。最後に人が訪れてから日が経っているのか、少しだけ埃っぽかった。人の代わりに埃が住んでいるのは物哀しく思えて、小さくため息を吐き出してから伏黒はまた部屋の外へと向かった。あのコンビニにはタオルくらいはまだ残っていただろうか。この部屋には本当に何も無くて、埃ひとつ掃除するのにすら少し困った。

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 タオルと一緒にフローリング用のウェットシートを手に戻ってきた伏黒は、それを取り出して床の掃除を始めた。フロアワイパーが売っていればよかったのだけど生憎売っておらず、当然この部屋にもないから雑巾がけの要領でやるしかなかった。コンビニ以外の場所に足を運べばあったのだろうが、それでもあまり長くこの部屋から離れたくなかった。
 明日の朝まで時間はある。適当に床を拭いて、ついでに目に付いた場所を軽く掃除したって余るくらいだ。ぬるいフローリングに手をついて黙々と床を拭き始めれば、伏黒が思っているよりこの部屋は無人だったのか思ったより黒くなった。不意に顔を上げればカーテンの隙間から帳が見える。東京の殆どをすっぽりと覆っているそれは、窓から見える景色の半分以上を埋めていた。空が真っ黒に大きく切り取られている。
 本当はこんなことをしている暇なんてない。今すぐにだってあの中に飛び込んで、やらないといけないことがある。伏黒1人がこんな場所で呑気に掃除なんかしていい場合じゃないのだ。釘崎に追い出されてもまた戻らなければいけなかった。ずっと分かっていたのにそれが出来ずにこの部屋まで来てしまった。叱られたっていいから。
 次々と買ってきたウェットシートが消費されていって、やがて最後の1枚を使う頃には日は傾いて薄暗くなっていた。すっかり日が短くなって薄暗い部屋の電気をつければ、何となく最初に来た時よりは綺麗になったような気がする。次に誰かが来る時にはまた埃が積もっているかもしれないが、もしもそれまでに五条がこの部屋へ来れることがあったら少し綺麗になった部屋に驚けばいい。
 もう冬とはいえ少し動いた身体は僅かに汗をかいていて、軽く汗を流そうと思い立つ。あまり期待はしていなかったが着替えのひとつくらいは無いだろうかと寝室に向かえば、案の定クローゼットの中はまっさらだった。五条がどうしていたのかは分からないが、伏黒が寝に泊まる時は着替えを持参して持って帰っていたから置いてあるはずもなかった。釘崎に追い出されたままにここまで来てしまったから当然持参もしていない。
「…本当、どうしようもないな」
 空っぽのクローゼットの前でため息を吐き出してから少し悩む。着替えを買いに行くか、シャワーを浴びずに寝るだけ寝るか、シャワーを浴びて同じ服に着替えるか。
 そうして少し悩んだ末に、昼間に買ってきたタオルが3枚セットの徳用で、掃除に使ったのは1枚で残りが2枚あることを思い出した伏黒はシャワーを浴びることにした。朝には高専に戻るつもりであったから、戻った時に着替えるでもすればいいと納得させて。


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 軽く汗を流した頃にはもう窓の外は真っ暗になっていた。冷蔵庫に入れていた緑茶とおにぎりを手に持ってベランダへと向かえば、夜空よりも暗い色をした帳がやはりそこにあった。窓を開ければ冬の冷たい風が吹き込んで、温まった体を途端に冷やす。
 街明かりの減った東京は信じられないほどに星が多く見える筈だった。けれど目の前には視界の殆どを埋める帳があって、星がある筈の夜空を隠している。月すらも帳の向こうにあるのか見えなくて、常より暗いだけの空を眺めながらペットボトルの蓋を捻る。冷えたお茶が染み渡っていく感覚は少しだけ心地よかった。おにぎりの封も開けて口にすれば、何も考えずにレジ袋ごと冷蔵庫に入れたのがいけないのだけど米が少し固くなっていた。夕食と言うにはお粗末なそれを食べ進めながら五条が昔口ずさんでいた童謡を思い出す。
 小学生の時、音楽の授業できらきらぼしをやった。テストできらきらぼしを鍵盤ハーモニカで演奏することになった伏黒が、家で練習するためにそれを持ち帰った日にたまたま五条も家に来ていたのだ。伏黒が持っているそれを見て「懐かしい」と言った五条は勝手に取り上げると、鍵盤ハーモニカを入れていた手提げに一緒に入れていたきらきらぼしの楽譜を見ながら軽々と演奏してみせた。手提げの中で少し皺になっていたプリントを数度目でなぞっただけで完璧に演奏して、一通り弾き終わるとやっぱり「懐かしい」と笑った。それからこれが今度テストでやるのだと知った五条が伏黒に教えてくれたりもしたのだが、その時伏黒が奏でる大して上手くもないメロディに乗せてきらきらぼしを口ずさんでいた。
 それを、不意に思い出す。
 あの後五条の教えもあって伏黒は音楽のテストで満点を取って帰ったのだが、その結果を聞いて何故か五条の方が得意げだった。あれから伏黒がまたきらきらぼしを演奏することも、それに合わせて五条が口ずさむこともなかったけれど、それは伏黒が思っているよりずっと鮮明に記憶に残っていた。きらきらひかるほしは、今もきっと伏黒達を見つめている。この場に五条がいれば今の伏黒のように昔を思い出して懐かしい歌を口ずさんだかもしれないし、津美紀がいれば伏黒が練習していたのを知っているから同じようにこの話をして懐かしむかもしれない。そんないつかがあるかも分からないけれど。
 明日になったら、朝になったらここを出ていかねばならない。ここで眠れる日は次はきっとない。あったとしたらそれは奇跡だ。
 星の削れた夜空を眺めながら残りのおにぎりを雑にお茶で流し込めば、後はもう寝るだけだった。冬の夜風で身体は冷えていた。

 寝るにしては随分と早い時間。それでもベッドの中へと潜り込めば、ゆっくりと睡魔がやってくる。伏黒が思っていたより身体は休みを欲しがっていたのか、それともやっと眠る気になったのか。布団の中で小さく丸まって伏黒は目を閉じた。

____

「津美紀が起きて恵が卒業したらさ、この部屋あげる」
「…は?」
「都会からはちょっと外れてるけど駅から近いし、必要な店もある程度近くに揃ってるし、なにより僕がお金出してるから家賃いらず!」
 五条がそう得意げに言ったのは、たまたま伏黒が寝に来た日に五条もやってきた珍しい日の朝だった。ベッドの上で行儀悪く珈琲を飲みながら急に思い出したようにそう口走ったのだ。
「いや、あんたが寝るために用意した部屋でしょ。要りませんよ」
「今はそうだけど、ゆくゆくは恵達にあげるために買ったんだから受け取ってよ」
「あげるため、って…」
「前のアパート取り壊されちゃったでしょ?だから新しい2人の家がいるなって」
 砂糖が何個も入った甘いであろう珈琲を啜りながら、五条は悪くない話でしょと言う。2人で暮らしていたあのアパートはもう形もない。卒業したら津美紀と暮らすために高専を出る予定だった。五条が用意した部屋ならセキュリティだって十分だろうし、先程言われた通り場所だって悪くない。確かに悪くは無い話だけれど、その時の伏黒は素直に頷けなかった。いつもの五条を思えばあっけらかんと一緒に暮らそうなんて言いそうなのに、当たり前のように伏黒の隣には津美紀なのだと一歩引く、そんなところに。
 確かに伏黒は卒業したら津美紀と暮らせる家を探す予定だ。けれど五条自らに先手をとって一歩引かれてしまうのは、矛盾しているがあまりいい気分ではなかった。だからあの時の伏黒は五条と対称的に砂糖ひとつ入っていない珈琲を啜りながら言った。
「どうしてもいい所が見つからなかったら、受け取ります」
 津美紀がいいと言ったら3人で暮らしたい、とは言えなかった。

 ふ、と瞼を持ち上げれば窓の外はまだ薄暗かった。あと1時間もすれば太陽が顔を覗かせる時間、きっと東京の大部分を覆う帳がなかったら地平線の向こうにうっすらと朝日が見えていたかもしれない。思っていたよりしっかりと眠れたようで頭はすっきりしていて、その分さっきまで見ていた夢の内容をよく覚えていた。結局あの話はなあなあで終わり、将来この部屋がどうなるかは未定のままだった。どこもかしこも必要最低限の物すらないのは、五条にしては小さい部屋なのは、全て伏黒が姉と一緒に暮らす時の為だ。玄関にもリビングにもキッチンにも物がないのはいつでも出て行けるようにだ。空っぽの部屋はいつでも新しい家主を迎える準備をしている。
 深く深く溜息を吐き出して、伏黒はベッドから起き上がった。1度高専に戻らねばならない。ぼんやりと時間を浪費する訳にはいかなかった。冷たい朝の空気とフローリングは、より一層伏黒の頭を冴え渡らせる。まずはキッチンに向かってケトルに水を注ぐ。スイッチを入れてから伏黒は昨日コンビニで貰ったレジ袋にゴミを纏め始めた。といっても伏黒が持ち込んだものと言ったらおにぎりとペットボトル、掃除のために使ったタオルやフロアシートくらいだったから分別も関係なく袋に詰めてしまえばそれで終わりだった。部屋の明かりもつけていない薄暗いキッチン、まだケトルの湯は沸いてなかった。
 マグカップにインスタントコーヒーの粉を入れたところで、昨夜食べずに放置したままのロールケーキがあるのを思い出した。出て行く前に食べなくてはと冷蔵庫から取り出して、そこで何故買ったのかも思い出す。いつだかに五条がここのロールケーキが美味しいと言っていたのだ。真っ白な生クリームがぎゅうぎゅうに詰められた1切れのロールケーキ。いつもの伏黒なら絶対買わないそれは、まるで伏黒の中の寂しさを形にしたようだった。
 ずっと形にしないように見て見ぬふりをしていたけれど、今伏黒は寂しかった。寂しいとか、心細いとか、そんな気持ちを見ないようにしていた。家族と呼べる人が殆どいなくて、その唯一とも言える少ない家族は大変なことに巻き込まれて、そんな時助けてくれるような家族に近しい人も今はいない。帰ってきてもらうつもりだけど、帰ってきた時伏黒がそこにいる確証はない。3人で暮らせる日は来ないのかもしれないし、つい数日前に見た五条が最後になるかもしれない。本当はそんな余計なこと、考えている暇すらないのだけど。
 何も無いリビングに半円の影を引き連れて歪な朝日が差し込む。沸いたケトルの中身をマグカップに注いでから、五条の真似をして角砂糖を何個も入れてみた。軽く混ぜれば底の方で少しだけざらざらとした感触がして、飲むのが少し躊躇われたけれど1口啜る。
「……まず、」
 あの人こんなもの飲んでるのか、そう口の中で転がしてから買ってきたロールケーキを食べればやっぱり甘かった。甘いと甘いでくどいのに、捨てようとは思えないのはやっぱり恋しいからだった。
 これを食べ終えたらこんな感情はゴミ袋と一緒に纏めてしまわねばならない。朝の電車で帰った時、釘崎にまた叱られてしまわない為に。

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