薄明

ごじょうさとる×ふしぐろめぐみ
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グッバイオールドブルー
忘れ形見朝露と共に消えていくもの愛を知ってしまった僕たちは呪われてしまったの順でこれが最後

(side伏黒)

元々人をからかうのが好きな人だから、これがその1つなのは分かっていた。深い意味なんてなくて、ちょっとしたおふざけ。分かってはいたのに、つい思ってもないことを言ってしまった。五条は今出張で近くにいない。声しか五条の真意を読み解くものがないから余計に気持ちがひりついて、沈んで、選ばないといけないのに言葉を選べなかった。
「じゃあ、その恵って名前の人と付き合えばいいんじゃないですか」
口にした瞬間から後悔が頭の中を過って、けれど止めることも出来なくて携帯を持つ手に力だけが無意味に込められる。今、この電波の向こうで五条はどんな顔をしているだろうか。ただの悪ふざけに苛立ちを募らせる伏黒に呆れて笑っているのか、興ざめしているのかも分からない。面倒くさい奴だと思われていたらどうしよう、なんてことも過る。
「あんた、思ってることすぐ顔に出るんで気を付けてくださいね。下心丸見えですから」
『ちょっと恵、』
これ以上言ったらただの冗談じゃ済まなくなる。お互いの顔が見えないからこそ、言っていい冗談と悪い冗談がある。分かっていて、最後の最後に余計な一言を添えてしまった。最初に始めたのは五条なのだと言い訳すらして。
「…恵ちゃんの方がいいでしょう、俺より」
五条がなにか言いたそうに口を開いた気配がしたけれど、それを聞く前に携帯を耳から離して通話を終了させる。画面に表示された通話時間はたったの10分。たった10分であっさりと嬉しかった気持ちはどこかに行って、お互いの間に後味の悪さだけを残してしまった。
深い深いため息を吐き出して、折り返しの返ってこない携帯をベッドの端に放り投げると、それはシーツの上を滑って床に落ちた。それを拾う気分にもならなくて、布団の中で丸くなる。アラームはちゃんとセットしているし、基本的に目覚ましの少し前には目を覚ますから大丈夫だろう。
五条が出張から帰ってくるのは明後日だ。三日ほど前に出張へと出かけて行った際に今回は遠方だから早めに切り上げてくるのは難しいかも、と言っていたから予定より遅くなることはあっても早く帰ってくることはないだろう。今日伏黒にたまたま話しただけで、本当は初日から五条は自分に気があるという補助監督の「恵ちゃん」とやらと一緒に仲良く過ごしていたに違いない。五条がやたらモテるのはよく知っている。黙っていれば誰もが振り返るような容姿をしていることもよく理解している。けれどそれに今更どうこう思ったことなんてなかったのに。
「…かっこわりぃ」
自分と同じ名前をした顔も知らない女性に妬いて、五条がその同じ名前をした女性に冗談でも伏黒を重ねたことに苛立って、あまり気分の良くない言葉を投げつけた。結局五条が何を言おうとしたのかも聞かずに会話を切ってしまったから、帰ってきた時に一体どう顔を合わせたらいいのか。いや、合わせてくれるかも分かりやしない。情けなくて、かっこ悪くて、でもやっぱり気分は良くなくて。そんな後悔と苛立ちの中で伏黒は目を閉じた。

___

朝になって床に落ちた携帯を拾ってみても折り返しは来ていなかった。特にメッセージの一つも来ていなくて、昨夜の後悔を思い出すと同時にちょっとの苛立ちも湧き上がる。弁解の一言すらないのかと。刺々しい物言いをした自覚はある。五条からしても気分のいい話じゃなかったろう。今ここで伏黒から言い過ぎたと連絡の一つでも入れれば、きっと五条も昨夜のことを謝ってくれる。分かってはいるが伏黒は何もせずに携帯を閉じた。
五条はいなくても授業は当たり前にある。身支度をしながら煮え切らない思いが渦巻いて意味もなく動作が荒っぽくなる。そのせいか、顔を洗おうとして蛇口を捻れば加減を間違えたのか勢いよく水が吹き出して寝巻を盛大に濡らすし、歯を磨こうと思えば歯磨き粉が切れていて買い置きもないし、珈琲を飲もうとすれば粉をぶちまけるしで、やること全てが上手くいかなくてそれが余計に伏黒の苛立ちを募らせた。焦げてしまった食パンを齧りながら昨日から何度吐き出したか分からない溜息をまた吐き出す。
トラブルがなかった方が少ないが、一先ず朝の身支度を整えて授業の為に教室へと向かおうとすれば、玄関先で敷居に躓いて散々だった。
「伏黒おはよー…てすごい顔してんね」
「してない」
「してるって。超イライラしてんじゃん」
丁度伏黒と同じタイミングで部屋から出てきた虎杖は顔を見るなりたじろいだ。虎杖の言う通り今の伏黒はとても人に見せられる顔をしていない自覚がある。たぶん目付きの悪さだけでちょっとした呪いの一つくらいは祓える気がするくらいには。
「朝から何してもうまくいかないんだよ。今も敷居に躓いた」
「それ見た」
そのまま虎杖と連れ立って教室へと向かう。生徒寮と教室のある棟を繋ぐ渡り廊下に差し掛かったところで、同じように教室へ向かう釘崎とも鉢合わせた。その釘崎も伏黒の顔を見て一瞬たじろぐ。
「何こいつ、すんごい顔してんだけど」
「朝から散々なんだって。水零したり、パン焦がしたり」
「言わなくていい」
虎杖に話した朝の内容を今度はそのまま釘崎へと回されて、こんな事なら最初から虎杖に話すんじゃなかったと思いながら三人で教室へと向かった。


それから幸いなことに午前の授業では五条のことを考える暇がなかったからか、座学も実技も大きなやらかしもなく無事に終えて、このまま何事もなく午後も終えられるのではないかと思っていた。がしかし、これから昼食を摂りに食堂へ向かおうとした伏黒の肩を釘崎が掴んだ。教室のドアの前で同じく食堂へ向かおうとしていた虎杖が外に出れなくなって少し困った顔をしている。
わざわざ引き留められて、嫌な予感がしないわけがない。
「虎杖が通れないだろ」
「これから学食行くんでしょ?ちょっと話聞かせなさいよ」
「…なんのだよ」
「あんたの彼氏の話よ。どうせなんかあったんでしょ。面白そうだから聞かせろって言ってんの」
釘崎の言葉に心臓がきゅ、と縮まった気がした。彼氏も何も、そもそも恋人がいるなんて一言も言っていないのに言い当てられたからだ。釘崎の後ろで様子を見守っていた虎杖も「あ~、だから伏黒あんなに機嫌悪かったんだ」なんて言って納得しているが、当然虎杖にも言っていない。さっと青ざめた伏黒に釘崎は呆れたように言った。
「あんたが五条先生と付き合ってんのなんてみんな知ってるわよ」
相手があの五条だから完璧に隠せるとも思ってはいなかったが、校内の人目に付くような場所で恋人らしいことをした覚えもない。五条と付き合っているのかと聞かれれば一応答えはするが、だからと言って自分から公言したこともない。気付いている人はもしかしたらいるかもしれないとは思っていたが、みんな、とは。
言葉を失う伏黒の肩を掴んだまま、釘崎に食堂へと連れて行かれる。何故か虎杖も一緒についてきていた。釘崎と一緒に話を聞くつもりだ。
そうしてやってきた食堂では今日の日替わり定食は生姜焼き定食。嫌いじゃないメニューの筈だがこれから釘崎に尋問を受けるのかと思うと悲しいことにテンションが上がらなかった。まさかこうも当たり前のように五条との関係を知られていて、しかも不機嫌の理由の目星まで付けられているとは。そちらの方が頭の中を占めていてとても生姜焼きに喜んでいる場合ではなかったのもある。
伏黒が逃げない為か、両脇を釘崎と虎杖に挟まれながら今日の生姜焼きを見つめてやっぱりまた溜息を吐き出した。
「話聞いてやるから。ほら、食べな。あたしの奢りよ」
「聞いてほしいなんて言ってないし、奢ってないだろ…」
「まあまあ。いっぱい食べな?」
「お前ら…」
釘崎はハッシュドビーフ、虎杖は同じ生姜焼き定食を大盛りにして食べていた。それにつられるように伏黒も生姜焼きを食べ進めながら、気になっていたことを聞いてみることにした。少しでも話の矛先をずらしたい、というのが本音ではあるが。
「まず、いつから気付いてたんだ」
「虎杖との初任務終わったあと。あんたと先生が一緒に子供送り届けてた時」
「最初は仲良いんだなーて思ってたけどピンと来たのは釘崎と一緒」
「……ほぼ最初からじゃねーか…」
まさか出会った頃から察せられていたとは。知らぬは本人ばかりだ。五条との関係を恥ずかしいものだとは思っていないが、しょっちゅう顔を合わせる同級生に知らぬ間に知られていたとなればやはり多少は恥ずかしいというもの。啜った味噌汁の味なんてもうよく分かっていない。
「恥ずかしいならもう少し隠す努力しなさいよ。鈍いこいつから見ても分かるんだから相当よ」
「俺に失礼じゃね?」
「で、その彼氏とどんな痴話喧嘩したのかさっさと吐きな」
虎杖のことなんてまるで無視して釘崎が肩を寄せてくる。話すまでこの食堂から出さないぞという強い意志を感じた。下手な誤魔化しなんてしようものなら放課後にも捕まりそうだった。女子は往々にして色恋の話が好きなものなのだ。
「喧嘩、というか…ちょっと言い過ぎたというか、」
「はっきり言え」
「…出張先にいる俺と同じ名前の女の人の話ばっかするから、ムカついて…」
改めて昨夜のことを口にすれば、五条が上機嫌にその恵ちゃんのことを話してきた時の事が思い出されて2人に挟まれて忘れかけていた苛立ちが戻ってくる。そして。
「ムカついて?」
虎杖が続きを促す。
「じゃあその恵ちゃんと宜しくしてろって言って電話切った」
そして、苛立ちのままに五条が良くは思わないだろう言葉を敢えて選んで口にした。何か言おうとしたのを聞かずにその日は伏黒から通話を切ってしまったから、あの時五条がどう思ったのかも、今どう思っているのかも分からない。お互い何か言い訳のメッセージの一つを送るでもなく、未だに履歴はあの喧嘩にも口論にも満たない伏黒のとげとげしい言葉で止まっている。
大まかな顛末を話せば、あれは先にけしかけた五条が悪いのだというひりついた気持ちと、あの程度の冗談も受け流せずにムキになった自分が面倒くさい人間そのもので情けなくなる気持ちと申し訳なさがない交ぜになる。伏黒から連絡をすればちゃんと謝ってくれるのを分かって何もしないのも、ちょっとした意地でしかない。子供だ。
こんな情けない話を無理矢理とはいえさせられて、居たたまれなさを感じながら生姜焼きを一枚頬張った。やっぱり味は分からない。
「今更そこでイラつく?」
カレーより名前が洒落てるから、という理由でハッシュドビーフを食べていた釘崎は水の入ったコップを一気に呷るとそう言った。空になったコップが小気味いい音を立ててテーブルに置かれる。
「…?」
「今更そこでへそ曲げるかってことよ。どうせ長い付き合いでそんな嫌がらせクソほど受けてんでしょうが」
「嫌がらせって」
「………ん?何か勘違いしてないか?」
「なにを」
「俺と先生の関係は思ってるほど長くないぞ」
釘崎はおそらく伏黒と五条の関係について少し勘違いをしている。そりゃあ出会ってからの付き合いは長い。人生の半分は五条がいる。しかし所謂恋人なんて名前の関係になってからはそう長くはない。流石に付き合うまでの詳細な経緯まで話す気はないが、ちゃんと付き合うことになったのは高専に入る前、中学三年の終わり頃。実はまだ一年も経っていないのだ。
伏黒の言葉に黙々と食べ進めていた虎杖も、眉間に皺を寄せていた釘崎も動きを止めた。左右から視線が突き刺さる。虎杖も釘崎同様の勘違いをしていたらしい。
「熟年夫婦のそれかと思ってた。先生がアレ取ってって言ったらちゃんと醤油取ってたし」
「……ふぅん…」
釘崎がにやりと笑ったのを見てこれは適当に話を合わせておけばよかったのかと今になって気付くが、既に手遅れだった。虎杖がついでに買っていたプリンを何故か釘崎が指さして言う。
「そのプリンやるから説明」
「俺のなんだけど?」
「いや話すつもりは…」
「ここまで来たら全部ゲロっちゃいなさいよ。減るもんでもないでしょ」
付き合ってると知られるだけならまだしも、馴れ初めまで語るとなると流石に精神が削られる。減るものはある。朴念仁とからかわれる伏黒にだって人並みに羞恥心はあるのだ。
けれど女子の押しの強さに勝てる訳もなく、さっさと定食を食べ切って立ち去ろうとしたがその頑張りは無駄となった。何かと悪ノリが好きな2年生の面々にも聞いてみようかと脅されては仕方ない。あの掴みどころがないどころか特定の相手を作るイメージすらないであろう、あの飄々とした五条の浮いた話となれば食いつきもいいだろう。何よりも、伏黒と五条が紆余曲折の末付き合うに至った日、直前に真希と少し話をしたのだ。そこから話がどう広がるか分かったものではない。
「…話す、話すから先輩たちには振るな」


「つまりガキの頃から先生が好きで、先生はそんなあんたの為に恋人ごっこをしてくれてたと思ってたけど、実は先生も本当にあんたのことがずっと好きだったと判明したのがつい最近ってこと?」
「復唱しないでいい」
「しかも何がなんだか分からないけど先生は先生でそのうちあんたに愛想尽かされるとずっと思ってたと」
「声に出さなくていい」
やむなく話したあらましを誰に説明しているのか丁寧に繰り返され、穴があったら入りたいを身をもって体感していた。一般的な恋愛とやらがどんなものなのかもリアルな恋愛とやらがどんなものなのかも分からないが、少なくとも伏黒と五条のそれはそのどちらからも外れたものなのは分かる。それを改めて振り返って人に話すとなれば当然恥ずかしい。しっかり精神はすり減っていた。
「……伏黒って映画みたいな大恋愛してたんだな」
「やめろ」
「あんたら見かけによらず随分一途なのね」
「やめてくれ」
慰めているのか追い詰めているのか、ともすれば火が出るのではないかと言うほど熱を持つ頬を持て余しながら虎杖に差し出されたプリンを受け取る。小っ恥ずかしい話をしたのだ、いっそ甘いものでも食べたい気分だった。
スーパーで特売品になっているようなプリンは卵の味なんてしなくて、人工的な甘さだけで固められていた。特別美味しいわけでもない、けれど今の伏黒には丁度いい甘さだ。
「ツッコミたいところは山ほどあるけど、そもそも好きでもなかったら小学生と付き合うわけなくない?遊びでもなんでも捕まるのはあっちじゃない」
「付き合うつっても手を繋ぐくらいでマジで何もしてなかったし、本当に形だけだったんだよ」
「すげぇ大事にされてんじゃん」
「てっきりもう手を出されてるのかと思ってた」
「…そういう人じゃねぇ」
その言葉に2人が笑顔になっているのを見てまたしても後悔した。口を開けば開くほど五条が好きなことを教えているようではないか。こんな惚気みたいな話、するつもりじゃなかったのに。
今日は朝から散々だ。寝巻はびしょ濡れになるし、歯磨き粉のストックもない、インスタント珈琲の粉は零すし食パンも焦がした。何もかもが上手くいかなくて、口を開けば失言ばかり。適当に上手く話を合わせてしまえばよかったのに、馬鹿正直に話してしまうから伏黒ばかりが恥ずかしい思いをしている。全部昨夜の会話から、五条からだ。
とは思うものの、二人に挟まれて色々話してしまったら昨夜の怒りは小さくなっていた。怒ることにも疲れてしまったのかもしれない。怒るにも体力はいるのだ。
「明日帰ってくるんでしょ?いい機会じゃないガツンと言ってやりな」
「ガツンって何を」
「その人より俺を見て!的な感じ?」
「そんな女と俺のどっちが大事なんだよこら、的な感じよ」
「言えるわけないだろ」
「言える言えないじゃなくて言うのよ。また同じことされたいの?」
「…されたくは、ねぇけど…」
五条とちゃんと付き合うようになってから、こんな言い争いなんてしたことがない。それまでは五条が上手いこと言葉を選んでくれていたのだろう。いつ嫌われても自分が傷つかないように、だとか終わりばっかり考えて自分本位だった、だとか言っておきながらちゃんと伏黒のことを考えてくれていたのだ。伏黒がこれ以上五条のことを好きにならないように、五条が伏黒をこれ以上好きにならないように、距離のある言葉を選んだのだったとしても。気付いてしまえばむず痒くて仕方ない。そういうところが更に伏黒の中の好意を増していることに、まだ気付いていないのだろうか。とはいえ、2人の言うように昨夜の冗談については笑って「もういいですよ」で済ますには些か大きな出来事だ。少しくらいは強く言ったって、五条に仕返しをしたってバチは当たらないのかもしれない。だって伏黒はもう、あの大納言しるこを五条に手渡した日から愛想を尽かしても尽かされても、五条のことを手放さないと決めたのだ。腹を括っている。
はあ、と溜息を吐き出す。
「お前らに尋問受けてたら意地張ってんのも疲れた。とりあえず、明日ちゃんと話を、する……」
「伏黒?」
昼休みももうすぐ終わる時間になってようやく気が付く。3時間くらい前にメッセージが来ていたことに。
差出人は今さっきまで会話の中心にいた五条だった。
「…先生から連絡きた」
「見せなさいよ!」
「やめっ……!」
「おっと」
伏黒が零した言葉に気付くが早いか、横から釘崎の手が伸びてくる。それをすんでのところで躱す、がしかし反対側にいる虎杖も今やすっかり釘崎側の人間だった。釘崎から逃げるために反対側、虎杖のいる方に引いた手をそのまま掴まれる。伏黒よりずっと筋肉も力もある虎杖に掴まれてしまえば当然振り払える訳もなく。
「噂をすればなんとやらってやつじゃん!」
五条からのメッセージはシンプルに、「謝りたいから今夜電話する」だった。

____

(side五条)

待って恵、そう言おうとしたが届く前に通話を切られて五条は青ざめた。さーっと血の気が引いていくのが分かる。好きな子にちょっと意地悪をしたい、そんな悪ノリで存在しない伏黒と同じ名前の補助監督の話を喜々としてしてしまったのだ。実際は五条についているのは男性だし、なんなら伏黒もよく知っている伊地知だ。五条に好意を寄せている恵ちゃんなんてどこにもいない。
「やっちゃった………」
通話の切られたスマートフォンを見れば通話時間は10分。たったの10分で伏黒に心にもないことを言わせてしまった。
けれど今すぐ折り返しの連絡をすれば間に合うことは分かっている。質の悪い冗談を言ってごめん、恵ちゃんなんていない、五条に好意を寄せている女の人なんてどこにもいない、と。しかし血の気の引いた指先でさっきまで伏黒と通話していたアプリを開いたところで気付いてしまう。伏黒が五条に「恵ちゃんと付き合えばいいじゃないか」と言った時、本心ではないのは明らかではあったが苦しかろうが苛立ちに任せての言葉だろうが五条が他の人間と付き合うことを頭に巡らせたのかと。どうやらまだ伏黒から手放される用意を、見放されてもいい心構えをしていたらしい。「ねぇ恵、自分の父親がまだ生きてるって、そう思ってるんでしょ。実はね、」なんて言えやしなくて心苦しさと不安ばかりが募る。こんなことなら伏黒のことをこんなに好きになる前にさっさと無理矢理伝えてしまえばよかったとすら思う。そうしたら本当のことを知った時に伏黒がどんな顔をするか、考えなくて済んだのに。
深い溜息を吐き出す。
自分からはもう手放せないけれど、いつか伏黒が五条のことを軽蔑したって呆れ果てたって、最初からそうなると達観していれば傷は浅い。そう、まだ思い込んでいる。
伏黒の涙ながらの告白を聞いてまだそんなことを思っているのか。あまりにも意気地がなくて、そして最低だ。これは無意識の試し行為だ。
止まった指を再び動かす。ちゃんと酷い冗談を言ったと謝らないといけない。
「はぁ!?」
通話をタップするところで画面が切り替わる。着信画面だけれど、伏黒ではない。もう日付も変わろうかという時間だというのに電話をかけてきたのは伊地知だった。


間が悪い時はとことん悪いもので、真夜中に伊地知からの呼び出しがあってからというもの何もかもが散々だった。
あんな時間にある呼び出しなんて当然任務に関するものに決まっている。聞けば今日五条が赴いた現場からそう遠くない場所に呪霊が多発したのだという。運悪く近くに使えそうな術師はおらず、しかも等級は特別高くはない代わりに数が集まっていた。他の術師が到着するまで放置するには些か危険だという事で、たまたま近くにいた五条が呼び出されたのだ。
現着してみれば、発生源と思われる街の片隅にある朽ちた神社には夥しい数の呪霊がひしめいていた。長い事手入れもされずに放置された神社に対する恐怖の念と、そこに祀られていた呪物を求める呪いとが合わさってこのような事態になってしまったのだろう。さっさと辺りの呪いを祓って呪物を補助監督に預けて、そうすれば後始末は遅れてやってくる術師でも十分だ。そう、思っていたのだけど。
その任務の途中でゲリラ豪雨に襲われ、その豪雨の影響で他の術師は到着が遅れ、五条一人で全てを片付けた頃にやっと雨は止んだ。伊地知に原因となった呪物を渡した頃には深夜の3時。思ったより時間がかかってしまった上にもう伏黒に連絡するには遅すぎる時間。用意されたホテルに帰ってから一言メッセージだけでも送ろうと思ったものの、伏黒と話したきり充電も忘れていた携帯はすっかり元気をなくし真っ暗になっていた。シャワーを浴びている間に充電して寝る前にメッセージを送ろうと思っていたが、今度は急に充電コードが断線して使い物にならなくなった。まるで伏黒に連絡しようとする五条を邪魔するかのように何もかもが都合が悪く進んでいき、漸く一言を送れたのは連絡のつかない五条を迎えにホテルの部屋までやってきた伊地知から充電コードを借りることが出来た午後10時過ぎだった。
伏黒に酷いことをした報いなのか、くだらない試し行為なんて無意識にやってしまった罰なのか、電話が切れた瞬間から何も上手くいかない。送ったメッセージに既読が付いたのも送ってから3時間程経った午後1時頃。向こうでは昼休みが終わる頃だった。その返事はシンプルに「分かりました」だけだった。

___

電話をすると言ったのは自分だが、いざその時が迫ってくるといやに緊張した。五条に投げられた任務を終えた頃にはすっかり日は落ちていて、伏黒の方は夕食の時間も終わって風呂も終わっていようかという時間。その間お互い「連絡する」「分かりました」以上のやり取りをすることはなかった。
はあ、と一度深呼吸をしてから握りしめた携帯の画面を操作していく。ちゃんとコンビニで充電コードも買って、しっかりMAXまで充電してあるからどちらかが切らない限り通話が途切れることはない。更新されていないトーク画面を横目に通話をタップして、コール音が鳴ること数度。
ぷつ、と音が途切れるやいなや直ぐに口を開いた。
「昨日はごめん!」
『昨日はすいませんでした』
コール音が途切れた瞬間、口を開いたのは二人同時だった。声が重なってしまったが伏黒がなんと言ったのかはちゃんと聞き取れた。それは伏黒も同じだったようで、聞き返されることもなく言葉の意味を噛み締める様に揃って僅かな間だけ無言になる。
やがて口を開いたのは伏黒だった。
『あの、昨日はすいませんでした。大人げなかったです』
「…いや、こっちこそ、ごめん」
恵ちゃんなんていない、好意なんて寄せられてない、全部嘘で、全部意気地がない自分が悪い。言いたいことは今日ずっと考えていて山ほどあった筈なのに、いざ言おうとすると簡単には出てこない。情けないだとか、かっこ悪いだとか、そんなものではなくて伏黒を傷つけないで済む言い回しが上手く出てこないのだ。前は、ちゃんと付き合う前はいくらだってそんな言い回しは出てきたのに、いざとなったら出てこない。伏黒のことを手放したくなくて、愛想を尽かされたくなくて、そんな五条の為の相応しい言葉が探しても探しても引き出しのどこにも見つからない。ただ耳障りのいい表面だけの言葉じゃ意味なんてないのに。
『浮気するなら、次はちゃんと内緒にしてくださいね。嫌がらせでも知りたくないので』
言葉を探してまごついてる間に伏黒が発した言葉に、ぎゅうと心臓が嫌な音を立てた。そう思われたって仕方ないことをしたのは自分だ。全部自業自得だけれど、伏黒にこんなことを言わせた自分が恥ずかしくなる。恥ずかしくて、かっこ悪い。
「っ、浮気じゃない!」
『あんなに楽しそうに話してたのに?』
「それは…、」
そんなに信用ない?とは口に出来なかった。信用なんて最初からあったもんじゃない。元々終わりありきで付き合っていた、そのツケがまだ残っているのだ。言葉を尽くして、もう間違えないようにしないといけない。付き合いは長いくせに、今更やっと拙くこの関係は形になって、そしてまだまだ未熟で未完成で、不誠実だ。
言葉を詰まらせた五条に、伏黒が更に言葉を重ねる。その声はどこか笑みを含んでいた。
『…五条さんが俺の事嫌いになっても愛想尽かしても、逆に俺が五条さんを嫌いになっても愛想尽かしても、結局好きなことに変わりはないので安心して浮気でもなんでもしてください』
ただし今回みたいに口にするのはNGですよ、とも付け足して。
伏黒がこんなに五条のことを好いている。五条が口にするより先にこんな事を言われてしまったら、いつまでも言葉を探してもたついている場合じゃない。
何だか気が抜けてしまって床にへたり込む。深く息を吐き出して肺の中身を全部吐き出して空にしてから、新しい酸素を吸って選ぶのをやめた言葉たちで伝えていく。
「浮気じゃない…恵ちゃんなんていないし、そもそもついてたのは伊地知だよ」
『しょうもない嘘ですね』
「嘘じゃない」
『じゃあなんで』
「……恵に、愛想尽かされるかなって」
五条の言葉に息を飲んで、それから呆れたように溜息みたいな笑いを零した。
あそこで伏黒が「もういいです」と言って五条のことを捨てたら、きっと死ぬほど後悔する。傷が浅いなんてそんなわけない。どうしてこんな事をしたんだろうと悔やみに悔やんで、けれどまた捕まえに行く意気地もなく手元を離れた伏黒の背中ばかりを見つめることになるに違いない。分かっていて分かってないふりをした愚か者だ。 
『大人になったら俺が五条さんのこと嫌いになる、でしたっけ?…そん馬鹿みたいな話、まだ信じるほど俺って信用ありませんか』
「そんなことない」
『あるでしょう。あるから、昨日みたいなことが言える』
でも、と伏黒が続けた。
携帯を持つ手が汗で滑りそうになる。言葉は優しくないのに、もうそこに昨夜みたいなとげとげしさはない。怒っていないのに怒っているふりをしている。電話の向こうの声がどこか楽しそうなのは五条に仕返ししているからだ。俺はこんなに好きなのに、よくも、そう言っている。
『いいですよ。それでも俺は五条さんのことが好きだから』
「……今日の恵、いじわる」
『自業自得ってやつですよ』
明日午前中で終わるから会いに行っていいか、そう聞けばわざわざ迷うふりまでしてから「差し入れは歯磨き粉でお願いします。なんでもいいので」と返された。


___


昨夜、五条との電話が終わったあと1度部屋を出れば、伏黒の通話の結果を聞こうと廊下で虎杖と釘崎が待っていた。腕組みをしながら「どうよ」と言った釘崎に「いつになく腰が低かった」と返せば、「一応反省はしてるのね」と返された。虎杖も「なんか丸く収まりそうでよかった!」と伏黒より上機嫌だった。会話の詳細は話してないのにそう言われるのだから、きっと顔に出ていたのだろう。明日は任務も学業もなく、部屋にいる以外特に予定もない。五条が買ってくる歯磨き粉を受け取って洗面台の引き出しに入れてから話を聞くくらいだ。たぶん、きっと、虎杖が言うように丸く収まる。2人に五条との関係について話すつもりはなかったのに、成り行きとはいえ話すどころか背中まで押されてしまった。「今日は色々悪かった。ありがとう」と言えば2人は「また今度話を聞かせろ」と返すのだった。
そんなこともあって今朝は気持ちがすっきりしていたからか寝巻きをびしょ濡れにすることもなかったし、歯磨き粉も昨日買った1本があるし、インスタント珈琲を零すこともなくパンも焦がさなかった。部屋を出た時に敷居で躓くこともない。悪くない朝の始まりだった。
午前中に終わるとは言っても具体的にいつやってくるのか分からなくて、意味もなく部屋の中を歩き回っては枕やベッドシーツの皺を伸ばしたり、冷蔵庫の中身を整理したりした。五条も反省していて、伏黒ももう怒ってない。それでもこの間みたいな会話は初めての事だったからまだ少しだけ緊張が残っていた。本を読もうにも何も頭に入ってこなくて、同じページの同じ行を何度も目で追いかけていた頃だった。
「めぐみ、いる?」
控えめなノックの音と共に五条の声がした。栞を挟むのも忘れて思わず本を閉じてしまって、けれどそれにも気付かずに玄関へと向かう。やっぱりまだ緊張していて、心臓が少しだけ煩かった。
勝手に入ってくると思って鍵の掛けていなかった玄関扉を開けば、任務が終わってすぐ来たのだろう五条が私服に着替えもしないで立っていた。目隠しだけは一応首に下ろしていたけれど。
「…お、お久しぶりです」
久しぶりと言うほど久しぶりでもないのに選ぶ言葉を間違えてしまったが、申し訳なさそうな顔をした五条は気付いていないのか「久しぶり…これ」と言ってからドラッグストアのビニール袋と紙箱を差し出した。
「これは?」
「帰りに買ってきた。本当は寄り道せずに来たかったんだけど…手土産、ないのもなって」
「別に良かったのに…せん、」
先生、と言いかけてから今日は隣に誰もいないことを思い出した。伏黒に気を使ってか、後日話を聞き出すための貸しを作る為か、その両方か、虎杖は朝から出掛けていた。釘崎も出掛けると言っていたから、もしかしたら荷物持ちにでも駆り出されているのかもしれない。
「…五条さん、玄関だとあれなので、どうぞ」
1度先生と言いかけたのを言い直してから部屋へと招き入れる。背の高い五条が少し体を丸めて玄関をくぐるのを見るのが、実は意外と好きだった。
適当に座ってるように伝えてから、台所で飲み物を用意するついでに受け取った紙箱を開ける。中には一つだけ、コーヒーゼリーが入っていた。通りで渡された箱が小さかったわけだ。いつもは必ず五条自身の分も買ってくるのに。一つしかないコーヒーゼリーを取り出してスプーンを2つ添えて、水切りかごからグラスを一つ手に取る。冷蔵庫の中にあるアイスコーヒーを注いでから五条の為に用意してあるシロップを少し多めに注ぐ。アイスコーヒーにはシロップだと知ったのも、五条の為にコーヒーを用意するようになってからだった。
「…僕さ、」
少し離れたところから伏黒の背中に声がかかる。振り返れば、ベッド脇に腰掛けた五条がこちらを見ていた。
「1人は寂しくて」
「…へぇ」
「だから最初に恵に声を掛けた。きっとこの子は僕と並び立てるからって」
「この術式なら、って?」
「そう。…ただ同じくらい強くなってほしかっただけで、それだけでよかったのに」
そこで五条が一度言葉を詰まらせる。続きを待ちながら用意したグラスとコーヒーゼリーを持って五条の元へ向かう。2人で座れるテーブルと椅子でもあればよかったのだけど、元々1人用の部屋にそんなものはなかった。
コーヒーを受け取った五条がようやっと、言葉を続ける。隣に腰掛けた伏黒を見る目は少しだけ涙を湛えていた。
「今はもういなくなるのが怖すぎて、いなくなった時の心構えばかりしてる」
「懲りずに?」
そう返せば五条の手のひらが頬に伸びる。かさついた大きい手のひらが優しく頬を包んだ。困ったように、力なく笑う。
口を挟んではいけない。何か余計なことを言ってしまったら、きっと五条が必死に探して選んでいる言葉はどこかへ行ってしまう。そんな気がして、伏黒の手の中でコーヒーゼリーの入ったカップがゆっくりとぬるくなっていく。
五条の手のひらの温度が心地よくて、何も言わない代わりにそっと頬を寄せた。こうやって五条から五条の意思で触れてくれるのだって、随分と時間がかかった。変に頭ばかり回して2人揃って遠回りばかりした。深入りしたら離れられなくなるなんて、ただの言い訳だ。とっくの昔に離れられないところに来ていたのに。
「…恵の顔を見てると、いつも言わなきゃって思うんだよ。どんどん似てくるから、ここに連れてきたことも、したことも、忘れるなって言われてるみたいだ」
誰に、何を、とは聞けなかった。けれどこんな、言うのが苦しいみたいな、どうしようもなく怖いなんて顔をして、そこまでして伝えられることに何の意味があるのだろう。一生懸命に頭を回した結果がその言いたくなさそうな話なら、聞きたくはなかった。
伏黒が聞きたいのはそんな話じゃなくて、もう伏黒が離れる想像をしない、そういう話だった。
「あのね、僕は恵の」
「五条さん」
頬に重ねられていた手に自分の手のひらを重ねる。いつの間にか五条の手のひらからは血の気が失せてひんやりしていた。そうじゃない、そうじゃないのだ。
「言いたくないなら言わなくていいです。五条さんが隠し持ってるそれが不安の原因なんだと思いますけど、こんなに冷たい手をされてまで聞きたいことじゃない」
ぎゅうと握り締めれば、緊張と怯えとで揺れていた瞳が丸く開かれる。必死に組み立てていたのであろう言葉が崩れ去って、代わりに子供みたいに唇をきゅうと噛み締めた。薄く張られていた涙はもう零れ落ちそうなくらいになっていた。弱々しくて、けれどもがいていた。
「甘やかさないでよ」
「だって言ったら五条さんはまた逃げたくなるでしょう」
「…ならない」
「嘘」
ぱちりと瞬きをした拍子にとうとう涙が五条の手にしているグラスへと落ちた。
「もうちょっと勇気が出てきたら、またリベンジしてください。じゃないとまた同じようなことをするでしょう。…恵ちゃんみたいに」
わざわざ恵ちゃんの名前を出してやれば、五条が肩からやっと力を抜いた。
「一生そんな勇気出てこなかったらどうしよう」
そう言って笑う五条はやっぱりまだ頼りなかったけれど。
「じゃあ一生秘密でいいですよ」
むしろ秘密でいた方が五条はずっと伏黒を想って頭を悩ますんじゃないか、とは言わなかった。
「ちなみに心の準備してた成果はあったんですか?」
そう聞けば、五条は涙を落としながら「二度とやんない。やらなきゃよかった。深夜に呼び出されるもん」と答えた。


1口コーヒーを口にして、「いつもより甘い!」と五条は瞳を輝かせた。普段五条に出す時よりシロップを多めにしたおかげか、散々涙が落ちていったわりにはしょっぱくはないようだった。五条が買ってきてくれたコーヒーゼリーは高いだけあって、上に乗っているのがただのコーヒーミルクではなく甘さが控えめなクリーム、更に甘さを調整出来るようにとシロップまで付けられていた。そのシロップをかけなければ甘いものが得意ではない伏黒でも食べやすい。けれどそれを伏黒1人で食べきってしまうのは勿体なくて、半分ほど食べたところで付属のシロップを全てかける。それを持ってきたもうひとつのスプーンで掬い上げた。
「これでお揃いですね」
「なにが?」
伏黒が差し出したスプーンに素直に口を開けるのが子供みたいで少し笑えてしまう。口角が持ち上がっているのを自覚しながら五条の口元にスプーンを運べば、やっぱりその都度素直に食べるのだから堪らない。
「俺も五条さんも泣いたじゃないですか」 
その言葉に五条が瞳を丸くする。
「…僕たちもしかしてださい?」
「ださいですね」
眉を下げて柔らかく笑う顔に、やっぱり伏黒の方が先に惚れ直してしまうのだ。続けてシロップで甘くなったコーヒーゼリーを五条に与えていれば、思い出したように「あ、」と声を上げた。
「そういえば何で歯磨き粉なの?」
「それは、」
昨日の朝のことを話せば、五条は「本当にお揃いだ!」と笑うのだった。

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